忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

正義の種類と役割分担

 

 "社会的正義"について論じた先日の記事に対するムっくん (id:nmukkun)さんのブックマークコメントが示唆に富んでいるため、そこから話を展開しましょう。

 

今の世の中、一周回って、大衆が正義とは言えなくなっている

 

 これがまさに"社会的正義”の課題であり、大衆とは社会的な正義であるが、その正義は善とは限らない、そういった話をしましょう。

 

 大衆の正義を掣肘する別の正義と、その役割分担について。

 

正義の種類

 まず前提として、善(good)正義(justice)は混同されがちですが異なる概念であり、正義は善とは限りません。だからこそ「正義の暴走」のような独善・社会的悪が起こり得るわけで、悪を為す正義も存在します

 魔女狩りなどは典型的な事例でしょう。

 あれは社会的不安に晒された大衆の心理的安定と社会の持続を目的とした「大衆にとっての正義」に基づいた行動であり、しかし善ではなかった事例です。

 

 善と正義は区分されるべきであり、そもそも正義には種類があると考える必要があります。

 先日の記事や冒頭に語った「社会的正義(大衆の正義)」以外を挙げてみましょう。

 

 例えば「理念的正義」。

 これは人権・自由・平等・公正などを代表とする、大衆ではなく善(good)に基づく普遍的な正義です。

 

 例えば「制度的正義」。

 法律と裁判所の判断に基づき、手続き的公正を重視する、構造的な正義です。

 

 他にも社会的正義の規模を細分化した「個人的正義」や「部族的正義」、理念的正義の状況を細分化した「報復的正義」や「配分的正義」など色々とラベリングは可能ですが、基本的には例示した2つと社会的正義を合わせた合計3つが大枠として妥当でしょう。

 

正義の衝突

 社会的正義(大衆の正義)。

 理念的正義(普遍的な正義)。

 制度的正義(構造的な正義)。

 それぞれの正義は基本的に協業的な関係ですが、時に衝突することもあります。

 全パターンを考えてみましょう。

 実際には悪い衝突もあれば必要な衝突もあります

 

 まずは【社会的正義】が【理念的正義】を抑圧するパターン。

 これはポピュリズムの暴走が典型的です。

 魔女狩り、SNSでの私的制裁、排外主義など、普遍的な人権や自由が大衆からすれば「邪魔な理屈」として排除されることがあります。

 基本的には望ましくない抑圧です。

 

 反対に、【理念的正義】が【社会的正義】を抑圧することもあります。

 シャンパン社会主義やバラモン左翼などが現代の典型的な事例です。

 大衆の生活感覚や文化を無視して現実的な負担への配慮もせずに急進的な改革を目指せば、それは単純に社会的正義を抑圧する結果となります。

 これも衝突せずに解決するべきであり、望ましくない抑圧です。

 

 次に、【理念的正義】が【制度的正義】を否定するパターン。

 これは公民権運動や民主化運動など、市民的不服従が分かりやすい事例です。

 正しく理念的正義に基づいていれば、すなわち人権や非暴力などが適切に配慮されていれば、社会変革として必要な衝突です。

 

 【社会的正義】が【制度的正義】を否定することもあります。

 法的プロセスを無視した群衆による私刑やSNSでの炎上による社会的制裁などが典型例です。

 大衆の怒りが制度的正義を機能不全に陥らせているパターンであり、大抵の場合は理念的正義とも対立するため、まずもって望ましくないパターンと言えます。

 

 最後に【制度的正義】が【社会的正義】や【理念的正義】を抑圧するパターン。

 これは昔から言われているように「悪法も法なり」です。

 どれだけ大衆の感情に反していて理念的な正義も実現できないような法律であっても、それが手続き的に廃止されない限り、制度的正義は他の正義を抑圧します。

 基本的には妥当な抑圧ですが、内容次第でもあります。

 

正義の役割

 私たちはどの正義を上位と判断し、どの正義に基づいて行動すべきか。

 

 その考え自体が極端だと言えます。

 別々にある正義を無理に排除・抑圧する必要はありません。

 大衆が求めていれば普遍的な善を排除していいわけでもなく、善であれば大衆を抑圧していいわけでもありません。3つの正義が鼎立しつつも機能する状況を維持することが重要です。一つの正義を持って押し通そうとすることこそ戒められる必要があります

 

 制度的正義は調停役です。

 正義が衝突した場合は制度的正義に従って調停することが無難と言えます。

 これは唯一、制度的正義だけが「暴力」ではなく「手続き」で処理するための仕組みを持っているためです。

 

 理念的正義は監査役です。

 制度は完璧ではなく、また普遍的な善の範囲も時代によって変化していくため、理念的正義によって制度の偏りを適宜補正していく必要があります。

 

 社会的正義は実行役です。

 どれだけ理念的に正しくとも、どれだけ制度的に正当でも、最終的に社会がそれを受け入れなければ正義は機能しません。

 

 繰り返しになりますが、どれが偉いわけでもなく、どれが絶対的なわけでもなく、それぞれが機能していなければ意味はありません

 理念的正義から外れた社会的正義は善ではありませんし、逆にどれだけ理念的に正しくてもそれを社会的正義に反映できていなければ実行力の無い空論となります。そしてそれらが制度的正義に基づいていなければ不公正です。

 

結言

 善(good)と正義(justice)の違い。

 正義の種類と役割分担。

 比較的ややこしい話ではありますが、今更「宗教的正義」による単一支配の時代へ戻るのも望ましくありませんので、私たちは多元化した複雑な現代を学び生きねばならないでしょう。

 なんとも、世界は日々複雑化しているので、大変です。