忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

世界で一番を目指す

 「何でもいいから世界で一番を目指せ、ただし悪いこと以外で」

 いつだったかは忘れましたが、中学生くらいの頃に父からそう教わったのを覚えています。何でもいいと言われても、夏休みの自由研究と同じでむしろ困るなと子供心に思ったものです。

 どの程度深い意味があったのか当時の父の心境は未だに察し切れていませんが、何かを一生懸命にやって一芸を磨くことで、人様に迷惑を掛けないよう自身で口に糊することができるようになれという意味だと理解しています。我が家の教育方針は「人様に迷惑を掛けるな」と「世のため人のために生きろ」だったような気がするので、恐らく当たらずとも遠からずの解釈だと思います。

 選択肢として家業でもあればそれを継いで一番を目指そうと思うのですが、残念ながら農家の三男坊だか四男坊だかである爺ちゃんの息子は勤め人の技術屋であり、私に継げる家業などはありません。

 ならば父と同じことをしたいと思い、高校では理系に進み、大学は工学部に行き、今では父と似たような技術屋になりました。独創性は無いですが父と同じようになりたいと思ったのです。

 父の顔は半分くらい私と同じなので、好きかと言われると普通です。性格は私に似ている、というよりも私が似ているのでまあまあ悪いです。小学生だった私に連立方程式やフィボナッチ数列を教える辺り、私が教え下手なのは父の遺伝のせいではないかと疑っています。父のことは大好きですが、顔や性格はさておきということです。あばたもえくぼには限度があります。

 ただ、あの頃見上げていて、時に背負われた時の父の背中を今でも覚えています。自分の背中は見上げることも背負われることもできないのですが、今でもあのようになりたいという気持ちは変わりません。

 

 社会に出て早10年ちょい、今では私も一端の技術屋として世を渡っています。私が取り扱っている工業製品については世界で三番目に詳しいと自負しています。社内は当然として、日本では私が一番です。なぜ三番目かというと欧米や中国の競合他社にきっと私よりも優れた技術屋が居るだろうと推定しているからです。つまり三番目を自負しているのはもっと凄い奴がどこかに居るだろうという謙虚さからです。謙虚さの欠片も無いと同僚には笑われますが、三番目を語ることは笑われていないので、まあその程度には認められているのだと思います。

 今なお私は父の教えを覚えています。よって私はまだ辿り着くべき処に辿り着いてはいません。もっと勉強をして、もっと努力をして、世界で私が一番になる日を目指さなければいけません。父の言葉はある種の呪縛であり、そして私にとっては大切な祝福なのです。私が仕事を楽しんで日々邁進できているのは父の言葉があるからです。

 つまり私の精神は未だに子供の頃から成長していないのでしょう。父親に認められたい、褒められたい、ただそれだけの単純な理由なのです。今にして思えば父から言われて覚えていることは犯罪をしてはいけないとか汚れた靴で車に乗ってはいけないなどの「やってはいけないこと」ばかりであり、フロイト的に言えば超自我の形成におけるエディプスコンプレックスの途上にあると言えるかもしれません。

 そんな生真面目な分析はさておき、私の仕事に対する熱意は父に与えられたものということです。あれをしろ、これをしろ、とはほとんど言わなかった父ではありましたが、おかげで真っ当に生活の糧を得ることができています。親の愛というのは実にありがたいものです。

 父もすでに高齢者一歩手前、まだまだ健康ではありますがいい歳です。元気なうちに私が世界で一番になった姿を見せてあげたいので、まだまだ努力をし続けようと思います。

 世界で一番になったらどうするか、そうしたら別の何かでまた一番を目指しましょう。いくつも一番になればもっと褒められるかもしれません。実に単純で私らしい、馬鹿馬鹿しくも好みな人生の理由です。父のおかげでこの「あり様」ですが、この「生き様」こそが父と同じで、好きなのです。

 

 書き始めた時に想定していたものとは違いエッセイのような記事になってしまいました。たまにはまあ、こういうこともあります。