忘れん坊の外部記憶域

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物事の判断基準をどこに置くか~自分か、他人か

 先日、いまここ (id:imakoko_blog)さんに素晴らしいテーマをいただいたため掲題の件について数日ほど考えていたのですが、私には他人を基準とする人の気持ちがさっぱり分からないことに気付いてしまいました。絶望的なまでに流行に乗れないタイプの人間なのです。勉強・分析した範囲のロジックを頑張ってまとめてみますが、分からないことが多いため堅苦しい語りのくせにふわっとした内容になりそうです。

自分か、他人か、伝統か

 アメリカの社会学者であるリースマンは物事の判断基準を三種類に分類しています。【伝統指向型】【内部指向型】【他人指向型】です。この分類を援用させていただいて考察を進めます。

 少し大雑把な例えとして服を選ぶ基準で考えてみましょう。「壮年の男はこういう服を着るものだ」「妙齢の女性はああいう服を着るべきではない」と伝統的な価値観に基づいて判断する人を伝統指向型、「この服は可愛いから欲しい」「こういう服が動きやすくて好き」と自らの内面的な規範を基準に選ぶ人を内部指向型、「今流行している皆と同じ服を着たい」「若く見られる服が欲しい」と他者評価を基準に選ぶ人を他人指向型と呼びます。

 結局決めるのは自分の意思なのですからいずれにしても自分が基準と言えるかもしれませんが、今回はその自分の意思を決める基準に差がある理由を考えます。

指向性の差異が生まれる理由

 指向性の差異は社会の成熟によるパーソナリティの変化によって生まれたと考えられます。

 伝統指向型は社会が未成熟な段階において顕著な指向です。社会が未発達な段階ではそもそもパーソナリティが認められるほどの物質的余裕が無いため、伝統に対する盲目的な服従が社会集団の維持に必要とされます。日本を例にすれば明治以前の段階です。そのような社会の成熟段階では伝統的な社会規範から外れることは生存すら危ぶまれる状況であるため、個人の趣味嗜好は表出する余裕がありません。例えば「俺農家なんかやりたくねーし」という選択肢が無い時代に培われた判断基準と言えます。

 社会が成熟して余裕が生まれるにつれて伝統的価値観に則らずとも生活をすることができるようになるとパーソナリティを発揮する余地が生まれます。それが内部指向型です。日本で言えば江戸末期から明治期が例として分かりやすそうです。従来は和服以外に選択肢が無かったところから、洋服や髪形、日々の生活様式といった様々なことを社会規範から抑制されることなく、個人の趣味嗜好を物事の判断基準にして選択することができるようになります。

 さらに社会が発展して日々が加速度的かつ急激に変化するようになると伝統的価値観や権威といったものの虚飾が剥がれることにより、個人の内面的規範もあやふやになります。今までの権威的存在や盤石と思われた社会構造が見る間に変化していく時代では長期的な指針を得ることができなくなることから、逆に手近な範囲、同時代を生きる集団の流行や生活様式を指針とするようになります。それによって生まれるのが他人指向型です。

指向性の差異に関する考察

 社会の成熟度を基準とすれば他人指向型が最も現代的と言えます。但し必ずしも新しいものが最適であるというわけではないように、時と場合によるでしょう。硬直度としては他人指向型、内部指向型、伝統指向型の順で柔軟かつ臨機応変であり、変化に適応できると言えます。しかしそれは確固たる指針の強さ、個としての頑強さに劣るとも言い換えられます。長所と短所は言い様、表裏一体ということです。

 社会の成熟度によって差異が生まれた判断基準ですが、どの判断基準を用いるかは人の成熟度にも拠ると思われます。

 年長者は人生の様々な経験によって織り上げられた自己を保有しており、判断基準に外部要素を必要とせず自己を指針とすることができます。反面、心身の若干の衰えから流動的な他人評価に応対することができなくなるでしょう。そのため人は年を取って成熟することで内部指向型、伝統指向型に転向していくものと考えられます。

 若者は反対にまだ確固たる自己を形成するだけの経験を積んでいないことから他人の評価に判断を仮託せざるを得ません。よって若者には他人指向型を基準とする人が多くなる傾向となります。しかしそれは適応力があり、共感性や同調性が優れることの裏返しでもあります。

 いずれの判断基準が良い・悪いという話ではなく、人それぞれということです。どれが正しいというわけでもなく、また人の一生のうちでも判断基準は変化していくものです。社会学的な集団分析には役立つ考え方ですが、個人の範疇であれば客観的な自己分析くらいの感覚で把握しておけば良いでしょう。

余談

 頑迷固陋な私は内部指向型の極致です。食べログとかAmazonとかの評価はほとんど見てすらいません。だから馬鹿な買い物をして無駄金を使うんだと反省しつつも、私が良いと思ったんだからまあ仕方ないと諦めています。反省したフリをしているだけですねこれは。