忘れん坊の外部記憶域

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格差が騒がれているが、実際どの程度の数値なのか?

 格差だ格差だと煽るような記事の見出しが世の中に溢れています。毎日のようにそういった情報を目にしていれば若者が不安や怒りを覚えるのも仕方の無いことです。

 確かに格差はあります、しかしそれはどんな時代どんな文明どんな社会体制であってもです。人それぞれに違いがある以上、地球に人類が1人にならない限り格差を完全に無くすことは不可能です。重要なのはどの程度の格差があるかを理解し、どこまで格差を許容するかです。格差ゼロは現実的に有り得ない夢想であり、それを目指すと格差がある社会よりも弊害が大きくなることはソ連やカンボジアを代表例として残念ながら歴史が証明しています。例えば「若者と高齢者で富に差があるのはおかしい」とかいって貯蓄を取り上げるようなことが許されるような社会では、誰も安心して生きていくことすらできません。

格差を煽る文言と実数との比較

 格差を煽る記事の例として、2018年の朝日新聞デジタルの記事見出しです。 

「世界の富の82%、1%の富裕層に集中 国際NGO試算」

 これは世界の富の82%が1%の富裕層に集中している、という意味ではありません。国際NGOのオックスファム(Oxfam)は「1年間での保有資産の増加分」の82%が富裕層に集中していると試算しています。センセーショナルな見出しですが、持っている保有資産が多いほど増加額も増えるという当たり前のことを述べているだけです。保有資産の格差を無くすには個人の所有という概念そのものを破壊しなければいけませんが、一部の社会主義国家で挑戦した結果失敗に終わっていることは覚えておく必要があります。

 そもそも上位1%というともの凄い少人数に見えるかもしれませんが、現在の世界の成人人口は約52億人ですので、1%は約5200万人です。お隣韓国の総人口くらいの人数ですので、決して世界を支配しているような一握りの人々というわけではありません。

 

 同様にオックスファムの報告書を引用しているNewsweekの記事見出しも見てみましょう。

「世界中が怒りを感じている」上位26人が下位38億人分の富を保有。

 上位26人が世界人口の下位半分の38億人分の富を持っているという記事です。もの凄い格差に見えますが、ちょっと計算に問題があります。世界の総人口は約78億人、そして成人人口は約52億人です。つまり残りの約26億人は特に富を保有していない未成年です。下位半分の富と言われると相当にセンセーショナルな気がしますが、そのうちの2/3は子どもということなんです。正しく格差を比較するには就業年齢に達している成人人口で比較するほうが適切でしょう。

 国際NGOオックスファムの活動は貧困と不正の撲滅です。とても素晴らしい活動をしている団体なのですが、報告書の内容がちょっと恣意的というか強い表現が多いので正しく読むには注意が必要です。

実際の格差について

 世界の富の変動や格差を見るには、国際銀行のクレディ・スイスが毎年発表しているグローバル・ウェルス・レポートが最適です。

クレディ・スイスについて - Credit Suisse

 例としてグローバル・ウェルス・レポート2021から富の比率を表した図を紹介します。

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 1億円以上の富を保有しているミリオネアは人口比で1.1%、5600万人いて、世界の富の約半分を彼らが保有していることが分かります。先に紹介した記事見出しほどセンセーショナルではありませんが、まあ間違いなく富が偏在しているとは言えるでしょう。

 思ったよりも多いのが富裕層の規模で、世界人口の10%以上が資産1000万円以上の富裕層であり、彼らの資産総額はミリオネアの総額に迫る勢いです。圧倒的な資産を持った支配者が世界の富を占有している、というわけではないことが分かります。

 資産100万円以下の層は世界の半分を占めています。これを「世界はまだ半分も貧困層だ」と捉えるか、「貧困層が9割以上だった昔に比べれば世界は良くなった」と捉えるかは人それぞれです。

 いずれにしても若者にはセンセーショナルで格差を煽るようなニュース記事を見るのではなく、国際的な団体がまとめている具体的な数値データを見ることをおすすめします。

余談

 格差が縮小するのは革命や戦争によって社会秩序が崩壊した時であり、格差が拡大するのは社会秩序が安定して平和が続いた時であるというのは古代ローマの時代から繰り返されてきた歴史の経験則です。個人的には争い事や戦争は好みではなく平和な世の中のほうが好きなので、あまり格差を煽るのはどうかなと考えています。

 もちろん格差の全てを許容するのではなく、平和と格差の天秤をどう均衡するかを民主的に定めることが前提ですが。