忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

感性の連鎖~刺激は他者があってこそ

 刺激というと身体的なイメージが強いですが、今回は心の刺激についてです。

他者のおかげ

 ワクチン接種のために会社から有給休暇をもらいましたが、薬局やスーパーに行って準備が終わってしまうと注射の時間まで暇です。そのため記事を書いてみます。まあ投稿するまでに時差があるので書いている私にしかリアルタイム感は無いのですが。

 過去にも書いたのですが私は休日には記事を書いていません、大体平日の午前中に書いています。今日は有給休暇で休日ですが平日でもあるため書き始めたものの、実のところ筆が進む気はしません。なぜ休日に書かないのかというと、休日はブログ以外の趣味に時間を使いたいから・・・というのもありますが、どちらかというと独身の一人暮らしのため他人からの刺激がほとんど無いからです。

この駄ブログでは思い付いたテーマでとにかく手あたり次第、よく言えばバラエティ豊か、悪く言えばまったくまとまりのない記事を無駄に毎日量産しています。いや、ほんと、雑多ですみません。

 それらの記事における様々なテーマは、ほとんど全てが職場の同僚や知人との雑談、仕事中のやり取り、人のブログやインターネット上のヘッドラインニュースなど他者からの刺激によって生まれています。休日はどちらかというと己の世界に引き籠りたい欲が強くニュースすらほとんど見ないため、他者からの刺激が無く書きたいテーマが浮かばないので書かないのです。というか書けないとも言えます。

 私は己の内面に語り掛けるような自己駆動型ではなく、日々他者からいただく刺激によってブログを書いている外部動力型の人間であるため、もし私が仕事を辞めて引き籠りにでもなろうものなら、もって一週間、ヘタすれば3日も持たずに書くことが思い付かなくなりブログを更新しなくなるでしょう。あれ、そうすればネット上に駄文が増えなくて済むので世のためかもしれません。

人こそが観測器

 私たちが接する楽しさや興味、悲しみや感動、恐怖や喜びといった感情を動かされる事柄は全て人によって生み出されています。直接的な交流による経験以外に間接的な作品も同様で、ドラマ、映画、コミック、小説、音楽、絵画、他にも様々ですが、やはり全て人の手によるものです。社会的生物である人間にとって他者こそが娯楽と情動の発生源であり、だからこそ人が交流することには大きな刺激と価値があります。

 もちろん他者が生み出したもの以外にも感情を動かされる事柄はたくさんあります。人は壮大な自然を美しいと思うでしょうし、遠大な宇宙や空間、未来に好奇心を持ったり恐怖を覚えることもあるでしょう。しかしそれらの感情も人の生み出したものであることに変わりはありません。動植物は自然を美しいとは思いませんし、宇宙に思いを馳せることもありません。私たちがそういったものを美しいと思うのは人が観測器だからであり、これこそが人の素晴らしさだと私は思います。

感性の連鎖

 なによりも面白いのは、人の生み出した刺激は連鎖するということです。誰かの作った素晴らしい物語を読めば創作意欲が沸きますし、美しい文章を読めば同じように書きたいと思います。良いものを見れば感動を人に伝えたくなりますし、悪いものを見れば身内や知人をそれから遠ざけるように動くでしょう。誰かに優しくされれば自分も優しくなれますし、誰かが悲しんでいれば自分も悲しくなります。人が生み出した刺激は感性を動かし、動かされた感性は新たな刺激を生み出す、その連鎖が世の中を日々より良いものに変えていくのです。

 もちろん連鎖は良いモノだけを生み出すわけではありません、悪いものも連鎖することでしょう。しかしそれでもいい、それこそが人の世だと私は思います。世の中を完全なる善にすることは不可能です。そんなことは洗脳なり脳を改造するなりコンピュータが支配するなりしなければできません。それは美しい世界かもしれませんが、そこに住んでいるのは「人」とは言えないのではないでしょうか。

 世の中には良いものも悪いものもあります。その両方が存在していることを知り、それでも悪いものを選ぶこと、人はそれを”恥”と言います。教育によって恥を知り”恥知らず”にならないよう努力すること、つまり良きものと悪しきものを見比べて良きものを選べるようになること、それこそが一人前の立派な「人」と言えるでしょう。

余談

 悪いものがあってもいい、つまりこの駄ブログのように駄文を垂れ流すようなものが世の中に存在してもいいんです。そういうことなんです。(自己暗示)