忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

劣等感こそ人が突き進む強い原動力となり得る

 感情について、アメリカの心理学者ロバート・プルチックは8つの基本感情と16の強弱派生、それらの組み合わせによる多数の応用感情から成り立つと考えました。

 基本感情は喜び・信頼・恐れ・驚き・悲しみ・嫌悪・怒り・期待です。

 強弱派生はそれぞれの基本感情にあり、例えば期待の強感情は警戒、弱感情は興味となります。

 また応用感情の例として、期待と喜びを組み合わせたものは楽観となります。

 そしてこれら感情を図示したものをプルチックの感情の輪(Plutchik's wheel of emotions)と言います。

引用元:Robert Plutchik - Wikipedia

 感情の輪自体も個別に見ていくとなかなか面白いのですが、それを語るのはまた別の機会として、今回は多少範囲を絞って話をしていきます。

 

優越感と劣等感

 以前、優越感と劣等感はそれぞれ度が過ぎなければ必要な感情だと述べたことがあります。

 優越感は自尊心や自己肯定感の元であり、客観性を伴うことで慈愛に変貌する感情です。劣等感は自責の考えや向上心の元であり、客観性を伴うことで尊敬に変貌する感情です。どちらも度が過ぎなければ決して悪いものではないため、悪感情だと切り捨てるのではなく上手く付き合うべきだと考えています。

 そもそもですが、プルチックの唱える8つの基本感情を引き起こすもの、つまり様々な感情自体を生み出す土壌の一つに優越感劣等感があると私は考えています。

 例えば自責はプルチックの感情の輪で言えば悲しみ+嫌悪で構成される感情です。自責の元となる悲しみと嫌悪はどこから生まれるかと言えば、自らに不足があるということ、そしてそれに対する反感であり、それはつまるところ劣等感という感情によって生まれると説明することができます。

 羨望に対しても同様です。羨望は悲しみ+怒りで構成される感情です。悲しみと受動的な嫌悪より能動的な怒りを組み合わせたものであり、これは客観性が無ければ羨望や妬みのままですが客観性が加われば他者への尊敬へと変貌します。そして悲しみと怒りの根源にあるのは、自らが持ちえていないことに対する劣等感ということです。

 

若さとは劣等感の塊

 多くの人は劣等感をあまり好みません。しかし、よくよく考えてみると劣等感というものはそこまで悪い感情ではなく、むしろ人の基本感情を生み出す必要不可欠な心の動きと言えます。劣等感は持て余しさえしなければよく、適切な距離感を持って付き合うべき良い友人ではないでしょうか。

 人の人生において最も劣等感を抱えている時期は若者の時代です。若者の考え方や古今東西の若者に刺さる流行歌に共通するもの、例えば現状や社会への不満、相対せざるを得ない環境に対する苛立ち、押し付けられるものへの反発心の理由を考えてみると分かりますが、これらは自分に不足しているものがあることへの劣等感が根源です。

 若者は肉体的にまだ未熟であり、金銭的には満ち足りておらず、知識も知恵も未だ無く、社会や環境を変える力を持っていません。『大人が持っているものを自分たち子どもは持っていない』という認知は猛烈に若者の劣等感を刺激します。

 しかし、だからこそ、その劣等感によって突き動かされて最も活発的に活動できるのが若者であり、若さです。すなわち若さとは劣等感の塊であり、劣等感の裏返しこそが若さなのです。

 若さによる活動力を否定できる人は居ないでしょう。若さとは愚かさの裏返しだということも言えますが、それがもし誤りの道であっても誤りであることだけを正せばよいのであり、活動力自体を否定する人は居ないと思います。さらに言えばそもそも大人は若さを『自らが失ってしまったもの』として羨望することすらあります。

 であるならば、その根源である劣等感を忌避する必要なんてありません。若さを眩しく素晴らしいものだと思うのであれば、それを生み出している劣等感だって同様に素晴らしいものだということなのですから。もちろん、度が過ぎなければではありますが。

 

 

余談

 感情の輪では、自責(Remorse:悲しみ+嫌悪)の反対感情は(Love:喜び+信頼)です。図らずも優越感→自尊心や慈愛、その反対の劣等感→自責や尊敬、という考えにぴったりと当てはまっています。

 細かく言えば愛は優越感と劣等感の入り乱れた感情だとは思いますが、その辺りは言語的な差異、例えば愛とLoveの違い、恥とShameの違いなどがありますので、また別の機会に考察しましょう。