忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

国政における「生活第一」とは経済に他ならない

 万人に同意される意見はありません。そんな、面白くない話をします。

 

批判を受け入れないことのリスク

 ここ数日、SNSで10年以上前の民主党政権時代の話題が活発に行われています。

 私個人の感想としては「時代の良し悪しなんて人によって違う」です。為替一つ取っても当時の円高が有利になった人もいれば不利になった人もいますし、それは現在の円安も同様です。

 もちろん政治とは結果責任であり、是々非々の比重をもってその良し悪しを語ることも自由ではあります。しかし誰もがそれぞれの立場で様々な人生を歩んでいる以上、統一的な評価を下すことはできないでしょう。それこそどのような政治・政権・政体であっても支持者がいるように、集団の思考において全会一致は幻想です。

 

 ただ、少し苦言を言わせてもらいますと、時代の良し悪しは人によって変わるものでありそれを個人個人が語るのは自由ですが、他者の評価を否定するのは悪手ですので止めたほうがいいと考えます。

 例えば「民主党政権時代は悪かった」とする個人の感想を「それは貴方の感想・体験に過ぎない」と否定することは、逆に「現在の政治が悪い」とする声も同様の理屈をもって打ち消されることを受け入れる必要があります。そうでなければ筋が通りません。だからこそ批判には批判で返すべきであり、批判を否定するのは悪手です。同じ理屈で「民主党政権時代は良かった」を否定するのも宜しくありません。

 これは少しリベラル・アイロニストに偏り過ぎた見解ではありますが、この観点が無ければ他者の感情や思考を下に見るような仕草になってしまいかねないと考えます。

 

※リベラル・アイロニスト

すなわち、自らが今現在所有している良心や信念は偶然と環境によって与えられたものであり、それが他者の所有する良心や信念に優越するものではないと考えています。同様に、他者が持つ良心や信念にも偶然性があり、私の所有するそれに優越するものでもありません。

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当時の体験からの考察

 さて、そんなわけでこの話題について是々非々を語りたいわけではなく、むしろ個人個人でそれぞれの意見を持っていることが自然だと思っていますが、当時の政治環境には着目すべき点が無数にあると考えているためその一側面を述べていきます。

 

 率直に言って、職場における私の同期、具体的に言えば2011年卒として大学や大学院の理工学部を出た同期の多くは当時民主党政権を運営していた政治家の方々に対する積極的不支持層になっています。体験の記憶とは長く続くもので、今でも不支持のようです。

 私個人としては人生の浮き沈みを政治に仮託することをそこまで好まないものの、彼らがそういった気持ちを持つことは否定しません。実際に政治が人々の人生に与える影響は大きいものでしょう。

 

 当時の円高は製造業のマインドを冷やし込み、生産拠点の海外移転が強烈に推し進められていました。その結果、バブル崩壊後の超氷河期世代とは並ばないまでも当時の第二次氷河期における製造業での就職は相当に厳しかった記憶が残っています。

 私の身近な体験の範囲でも研究室の同窓は半数以上が就職を諦めて借金を重ねて大学院へ逃げましたし、一つ下の後輩は製造業での就活の傍ら消防や自衛隊まで手当り次第に就活をしていました。

 

 個人的にはリーマンショックの影響を政治に仮託する気はありません。

 ただ、若者にとって就職とは生活を成り立たせるための一大事であり、就職が上手くいかなければ時の政治を怨むことはバブル崩壊後の超氷河期世代における政治不信とまったく同じ構造です。

 よって第2次安倍内閣の若年層支持率が高かったのはこの一点がとても大きいと私は考えています。当時の与党は円高を注視すると語り、野党は円高の是正と雇用の改善を語った、それだけの違いです。ただそれだけのことが支持の明暗を分けた一因だと思います。

 もちろんその改善策は規制緩和による非正規雇用の拡大など課題の残る方法であったと評価できるでしょう。

 ただしそれはすでに生活ができていた人間の視点でもあります。就職活動の明暗は若者からすれば生活ができるかどうかの瀬戸際に他ならず、明日のご飯への不安はイデオロギーや社会問題といった高尚な政治的課題を後回しとするものです。まずはなによりも生活と雇用が満たされる必要があります。

 それに対する異論はあるでしょうし第2次安倍内閣の問題を指摘する意見も分かります。ただ、前述したようにそれらの意見はそれぞれの立場で両立し得るものであり、彼らのような若年層の見解を否定すべきではありません。明日のご飯に不安がある弱者の生活を救うことが経世済民(経済)であり、その再分配機能が国政であって、国政は常に経済を重視することが必要です。その再分配機能が支障を来たしているからこそ現在の政治は批判されていますし、当時「生活第一」を押し出していた民主党が政権交代を果たせた理由の一つなのですから。

 当時円高で苦しんだ若年層を愚かだと否定するようでは国政を担うことはできませんし、彼らの見解を否定しては現在の政治を批判する筋を失います。全会一致は有り得ません。

 

結言

 支持が維持されるかどうかは「言ったことを実現できたかどうか」に依存しますが、まずそもそも支持を得られるかどうかは「言ったかどうか」です。言ったことを実現することは重要ですが、まずは語ることが必要です。

 当時の政治環境はまさしく「人々の生活」を誰が語ったかによって支持が変動した良い事例だと考えます。これを安易に愚かなポピュリズムと批判してしまうと、いずれ先鋭化した少数支配の専制主義に陥りかねませんので注意が必要です。

 

 以上より、現在の野党には人々の生活に直結する経済、特に雇用について語って欲しいです。今であれば非正規雇用の問題を語ることが適切でしょうか。

 色々と人によって理由はあるものの当時の若者からの支持を今なお失っているのは経済の比重が大きく、支持を取り戻すためには与党よりも上手くできることを表明する必要があると考えます。

 もちろん若者の支持を求めないならばそのような選択もいいとは思いますが、若年層を積極的不支持層にしてしまうことは長い目で見ると不利ではないかと愚考します。