忘れん坊の外部記憶域

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欧米と日本における同調圧力の違いに関する考察~同質化と強制の違い

 日本は同調圧力(ピアプレッシャー)が強いという言説を度々聞くことがあります。実際のところはアメリカや日本の心理学者による研究から、個人主義的な欧米人と集団主義的な日本人の間では同調圧力に有意差が無いことが分かっています。

『ウチ』への同調 日本人もアメリカ人と変わらず | 東京大学

 それでもなお根強く同調圧力の言説があることを疑問に思っていたのですが、今回ノーベル賞を受賞されました真鍋さんの会見によって少し疑問が晴れた気がします。

同調圧力の種類が違う

 語義的な意味での同調圧力は、ある特定のピアグループにおける意思決定や合意形成を行う際に多数派に従うよう少数派を誘導することを指します。

 この誘導する力、"同調圧力そのものの量"は研究結果から考えて欧米や日本でも差異は無いのでしょう。ただその力のベクトルが異なるのではないかと考えます。

 日本における同調圧力は集団での合意形成後における個人の意思決定の際に強く発動するものと考えます。日本では個人の意思決定が集まって合意形成をするのではなく、先に集団の合意形成が成された後に個人の意思決定が発生するという順序になっています。”皆が認める正しい事”というものが個々人の意思決定よりも先に合意形成されて存在しており、それに合わせるような意思決定を求められるのが日本における同調圧力の正体です。その集団の合意形成は相対的なものですが誰によって成されたのかは不透明であり、いつの間にか存在しているものです。

 対して欧米における同調圧力は絶対的な善、宗教や倫理によってもたらされる社会正義に向かうよう個人の意思決定に強制力をもたらすものです。欧米社会にとって集団の合意形成は個人の意思決定の集合体です。よって個人の意思決定に対する強制力は集団の合意形成によってではなく、その前に絶対的な存在として有る善への指向性を持つよう強制されるものとなります。

 つまり日本の同調圧力は先に存在する集団の合意に従うよう求める同質化圧力、欧米の同調圧力は社会正義に向かうことを求める強制圧力と言い換えることができそうです。

 事例で考えてみましょう。近年で同調圧力が話題になったのはやはりコロナ禍におけるマスクでしょう。

 日本においては「マスクをしなければいけない」という集団の合意形成が、誰が決めたわけでもなく最初から存在していました。よって同調圧力はその集団の合意に従うように個人の意思決定をさせるような無言の圧力として発生します。

 欧米においては集団の合意形成は個人の意思決定後ですので、社会全体ではなかなか合意が形成できませんでした。しかしだからといって同調圧力が無いわけではなく、政治思想や宗教観、地域社会といったそれぞれのピアグループにおいてマスク有無の社会正義が問われ、ある宗教団体ではマスクを付けることが公衆衛生上の社会正義とされ、ある原理主義団体ではマスクは身体機能を損なう悪であるとされ、その社会正義に基づいた行動を取ることを強制されるものとなりました。

 他にも、資産家への寄付に対する圧力が日本では小さく欧米では大きいことからも説明ができそうです。資産家は多数派ではないため、日本で自然発生する集団の合意形成においてはテーマアップされません。欧米では貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)という絶対的な社会正義が存在するため、慈善事業等に寄付しない資産家は社会全体からひどく叩かれることになります。

 このように、同じ同調圧力と言ってもどこからどういう方向の力が働いているかというベクトルが違うため、個人の受け取り方も異なるということです。人と同じことを求められるのを嫌う人からすれば日本の同調圧力は好ましくないものですし、集団の考える社会正義と自身の正義がそぐわない人は欧米の同調圧力を嫌うでしょう。

 そう考えると、最初に記述した欧米と日本において同調圧力に有意差が無いことは、同調圧力が同等というよりも全会一致の幻想はどのような社会集団でも現れることを証明したものと言えそうです。

同調圧力は悪か

 社会集団の規模が大きくなるほど完全合意を目指すのは現実的では無くなります。しかし社会としては決められないから何もしないというわけにはいかないため、何らかの行動を取るために一定レベルでの合意形成が必要です。

 この合意形成において同調圧力はほぼ必須となります。ある問題に対して10人程度の集団であれば全員がそれぞれ異なる解決方法を述べる時間が取れますが、100万人の集団ではそんな時間は到底取りようがありませんし、待っている間に問題はさらに複雑となってしまいます。同調圧力はどこかで見切りをつけるための社会的生物として備わっている基本機能の一つです。だからこそ現れ方の違いこそあれどんな社会でも存在しているわけです。一概に同調圧力を悪だと言い切ることはできません。

 ただし過剰な同調圧力は個々人の人格や人権を侵害するものとなります。過ぎたるは猶及ばざるが如しです。よって過剰な同調圧力は個人からすれば明確な悪と言えそうです。何事も取り過ぎは体に毒ですので、ほどほどが良いでしょう。

余談

 同調圧力は料理の”つなぎ”のようなものだと思います。常に必要なわけではなく、不足すればバラバラになり、多すぎればベタベタになって美味しくなくなってしまいます。必要な時に必要な量を、ちゃんと計って使うべきものなのです。