忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

敵を減らすのではなく味方を増やすほうが合理的

保守と革新、急進と穏健

 世の中には変化を好む人と嫌う人がいます。政治や経済の世界では保守(コンサバ)と革新(リベラル)という固い言葉で分類されることもあります。互いに相手を抵抗勢力として認識しておりそのせいで争いが起こる場合がありますが、実際はどちらかが絶対的に正しいということはありません。適材適所、状況に応じるべきです。保守的な維持が必要な局面もあれば革新的な変革が必要な場合もあるでしょう。コンサバとリベラルは車の両輪のようなもので、どちらが欠けても物事は上手く回らなくなります。

 正確に言えばコンサバとリベラルが存在するから争いが起こるというわけではありません。異なる意見だからといって必ずしも争いに至るわけでもなく、互いに相手の意見を尊重し合うことだってできます。争いが起きるのはコンサバやリベラルのどちらにも存在するそれぞれの急進派勢力がぶつかり合うことが原因です。

 コンサバとリベラルは前述したようにどちらが正しいということもなく、要は使い分けです。しかし双方の急進派による争いが起こってしまうと”争う事そのもの”にエネルギーを奪われてしまい、感情的になって冷静な判断や適切な決定を行うことが難しくなってしまいます。

 SNSなどでよく見られる光景ですが、相手の意見を否定し合うような急進派による争いは資源と時間の無駄です。意見を否定されたからと言って相手がこちらの意見に同調するかと言えば必ずしもそうではないことから、相手を否定することは自分の意見の味方を増やす方法としては労多くして功少なしの典型であり愚策です。下手をすれば争い事を嫌う人々から自分の意見が忌避されてしまうリスクすらあります。穏健派の支持を得るには相手の意見を否定するのではなく、自分の意見に同調してもらう必要があるのですから。

 また、意見を交換する際の目的は”物事のより良いポイントを探ること”とすべきであり、より良く出来るのであれば保守的だろうが革新的だろうがどちらでも良いのです。歩み寄って双方の意見を取り入れることでより最適なものを探る建設的な議論を行うことが最良です。しかし急進派が争いを始めてしまうと相手を意見で叩き潰すことが目的となってしまうため最適な解を見つけ出すことができなくなります。

 よって個人的な意見ですが、保守・革新を問わず急進的な意見を持つことを私はあまり好んでいません。いえ、正確に言えば急進的な意見そのものではなく急進派による争いを好みません。少し過激な考えではありますが、争いによる資源の無駄遣いは唾棄すべきものだと考えています。

仕事での抵抗勢力

 政治経済という大きな枠に限らずビジネス上でもこの手の問題はよく発生します。新しい方法を導入する時には必ず変化を嫌う人が抵抗勢力として現れることでしょう。

 この抵抗勢力を害悪として除外すべく攻撃することは愚策ということです。抵抗勢力を批判的に攻撃したとしても意見を翻す人は少なく、むしろより強固な抵抗勢力となってしまいます。また面倒事を嫌う穏健派の人々は争っているようなややこしい事案には近づきたくないと考え、どれだけ合理的で効率的な改革を目指していたとしても忌避されてしまうことでしょう。

 このような場合に必要なのは直接的に抵抗勢力とぶつかり合うことではなく、キーパーソンを確保することと穏健派を味方に付けることです。組織においては必ず誰かしらが決定の権限を持っています。そのようなキーパーソンを味方に付けてしまえば抵抗勢力の有無はあまり関係が無くなります。また穏健派を味方に付けることが出来れば多数派を形成できます。民主的な意思決定においては多数派であること自体が強みですし、抵抗勢力の中にも多数派に迎合する人は居ることから離反を期待することができます。よって穏健派を味方に付けたほうが攻撃的な争いを起こすよりもよっぽど合理的かつ効率的に革新を進めることができるのです。

まとめ

 つまるところ、争いによって敵を弱らせようとするのではなく味方を増やす戦略に終始すべきだと私は考えています。単純に争い事が好きではないという理由もありますが、争い自体が非合理で非効率だと考えているためです。