他者の考えを認め、価値観の違いを良しとし、多様性を重視することを物事の指針として日々精進しているつもりなのですが、残念なことにいくつかどうにも寛容になりきれないことが世の中にはどうしても存在します。
その最たるものがトイレで手を洗わない奴です。
・・・つまり今日はしょうもない話をします。
理解できない
トイレで手を洗わない人間が結構本気で理解できないんですよね。なぜに手を洗わないの?入口の近くにある洗面台でちょいっと水を出して石鹸付けてこするだけじゃん?簡単じゃん?え、なに、手の洗い方が分からないのかな?手洗い法くらい幼稚園や保育園で学んできたじゃん?それどころか昨今のコロナ禍で手の洗い方や消毒の仕方は相当周知されたじゃん?手洗いは重要だってことは誰だって知ってるじゃん?それでもなお手を洗わないって何を考えているの?もう言葉遣いが変わるくらいに意味が分からないのですが?
直接聞いてみるとさらに分からないのです、「別に汚れてないから」とか「手を洗っても雑菌は落ち切らないから」とか。そんな屁理屈とか興味無いからとにかく手を洗えよ!とセンメルヴェイス・イグナーツばりに騒ぎたくなります。センメルヴェイスさんは手洗いに命を懸けたために医学界から追放されてしまった19世紀におけるハンガリー人の偉大なお医者さんです。死後にその業績が評価された哀しい人でもあります。
納得がいかない
ほぼ全てのお手洗いには立派な洗面台があるじゃないですか。それが無くても水が出るところはあるじゃないですか。職人さんが精魂込めて作り上げた・・・わけではなく工業製品ですけども、飾りやオブジェではなく手を洗うという使用目的を持ってそこに鎮座ましましているわけなんですよ。なして使わないのか、使ってあげないと洗面台のレゾンデートルが満たされません。
別に潔癖症というわけではないのです、むしろ多少の不潔は気にしません。不潔が好きというほど吹っ切れているわけでもないですが。でも帰宅時や食事の前は手を洗うものじゃないですか。それと同様にトイレに行ったら手を洗うものだと思うんですよ。もうそれは習慣であり慣習であり一連の流れであって省略すべきものではないのですよ。
それはまあ、水が極めて希少な砂漠地帯ならまだ分かりますよ、水もったいないですし、砂で洗えばいいですし、そもそも乾燥地帯だからそれほど雑菌も繁殖しないですし。でもここは日本、ジャパン、ハポンなんですよ。土地の大部分は温暖湿潤気候に該当する国なんですよ。そらもう雑菌繁殖し放題な細菌天国のお国なんですよ。そんな国に住んでいて手を洗わないとはどういう了見だと。
そもそも手を洗った方が気分良いじゃないですか、愉快痛快爽快、とまでいくかは人それぞれだとしても、手が綺麗な方がさっぱりして気分が良いと思うのですよ。さっぱりしたくない、ベタベタヌメヌメしているほうが好き、という方もいらっしゃるとは思いますが、さっぱり派とはなんとも相いれない思想です。
個人の範疇であれば多少不潔であってもまあストライク寄りのボール、球審の判定次第なもんかなと思います。グレーゾーンではありますが、多少汚れたものを着ていようが、不潔なものを食べていようがその人の勝手です。でも手は別じゃないですか、その手は様々なところに触れるわけじゃないですか。他人に影響するわけじゃないですか。それを寛容に受け止めることは無理です。不潔さを人に押し付けるという行為は半分、いや、8割くらいテロみたいなものです。
悪意がないことは分かっているのです、悪意を持って意図的にやっていたらむしろビックリします。悪意がないことなんて分かってはいるのですが、悪意がなければ良いかと言えば良いわけないのです。善意が必ずしも善行とはならないように、悪行には必ず悪意が付随するかといえばそうではないのです。善意が悪行となることもあれば悪意のない悪行もあります。手を洗わないというのはそういう類の悪行だと思うのです。そういう悪いことからはきっぱりさっぱりと足を洗って欲しいものです。いや、手を洗って欲しいものです。
余談
平成27年の消費者庁による調査では15.4%の人がお手洗いに行った後に手を洗わないという結果が出ています。今はもう少し比率が低下していると信じたいものですが・・・