月に一度あるかないか、出荷後の製品を調査することがある。組立屋・アセンブリ屋が試験後に構成部品をバラして部品屋に返却し、個別の部品に異常が無いかを確認するためだ。私の担当製品には小さい部品もあることから時々そういった調査の依頼が来る。
「またか、面倒臭いな」とぼやきつつも実のところ気分は上々だ、日々デスクワークばかりをしているとたまには手を動かしたくなるもんだ。デスクワークは良くねえ、じっと座ってパソコンを眺めるなんてのは体に毒だ、精神にも余裕が無くなって心が病んじまう。時には何も考えず手を動かす時間が必要ってなもんだ。
届いたブツを見てみたが、今回の返却品はヘタッピのアセンブリ屋が取り外したらしくどうにもダメだ、炙りが悪すぎて純銅部分が真っ黒になっていやがる。若い衆がやったんだろう、ベテランであれば後工程を考慮して綺麗に取り外すもんだが若い衆はその辺まだまだ気が利かない。なんにせよこのままじゃ調査用の装置に載せることができねえ、仕方がねえからまずは磨きから始めるとしよう。
手のひらサイズの部品を持って事務所から出て、新しい建屋にある加工場には向かわず敷地の隅っこにある薄汚れたプレハブに向かう。良く言えば歴史のある、悪く言えば歴史に置き捨てられた古臭い加工場がそこにある。もちろん新しい加工場のほうが設備はピカピカの新品なんだが、どうにも大盛況で人が多いのがいけねえ。加工機の取り合いで並んで待つなんて馬鹿馬鹿しいし、そもそも待つのは大の嫌いだ。その点こっちのボロ屋であれば誰も来やしないから使い放題だ、鼻歌を歌ってたって見られやしない。
ガタついたドアを無理やりこじ開けて薄暗いプレハブに立ち入る。そろそろこないだみたいにまた外れるんじゃないか、このドア。壁にあるスイッチを入れるとLEDなんて立派なもんじゃないただの煤けた蛍光灯が数本だけ点灯したが、半分以上はうんともすんとも言わず沈黙したままだ、光る気力すら感じられない。忘れ去られたこのプレハブでは蛍光灯の寿命が先か、老朽化で建屋ごと解体されるのが先か、誰にも見られないところで底辺を競い合っている。
埃と錆を纏った加工機達が蛍光灯に照らし出されて姿を現す。壁際に並べられており、まるで骨董市でも始まるのかと言わんばかりだ。交換部品なんてものはもう市場にも無いだろう、壊れれば捨てるしかない。形ばかりのメンテナンスと時々の油がこいつらの命を繋いでいる。
その中でもひと際古いベルトグラインダーの前に立つ。私が会社に入社した時から同じようにそこにあるこの機械は私よりもよっぽど年長者だろう。そしてデカい。研磨ベルトが回転することでなんでもかんでも研磨できる素敵な加工機だ。新しい加工場に行けば最新の小型で使い勝手の良いグラインダーがあるが、なに磨けるのであればなんでもいい。まだ動くことを祈って意味も無く念を込めて力強く電源を入れると、軋みの入り乱れた回転音と共にベルトが回転し、俺はまだ働けるんだということを証明してくれた。
手のひらサイズの部品を慎重にベルトに押し当て、研磨を始めた。甲高い研磨音と騒々しい回転音だけが薄暗いプレハブに染み渡る。摩擦熱が部品を通してじんわりと指先に伝わってくる。もはや屋外と大差ないほどに隙間風が吹き荒ぶボロ屋だからこそ、この僅かな熱が愛おしい。
当てる位置を少しずつ調整して磨いていくと表面の焼けた黒皮が剥がれ、純銅本来の橙赤色の光沢が徐々に顔を出していく。なんとも気分が良くなる。光沢を持った金属表面は実に良いものだ。メッキや塗装した表面も決して悪くはないが、やはり酸化していない金属本来の光沢が一番素晴らしい。10円玉をピカピカにすると綺麗だが、あれは青銅だから少しくすんでいる。純銅は青銅よりももっと橙赤色で美しい赤を放つのだ。
純銅は柔らかく人の力でも簡単に変形してしまうので、ゆっくりと、優しく研磨を続ける。吐く息は白いが指先に感じる熱は寒気に負けないくらい頼もしい。ベルトグラインダーの調子も上々で、文句無しに磨き続けてくれている。こいつと一緒にこのまま一日中でもこの作業を続けたいものだ。
しかし楽しい時間はあっという間に終わってしまうのが世の常、1時間もしないうちに研磨する部分は無くなってしまい、黒皮の薄汚れた表面は消え失せて純銅の光沢が誇らしげに全身を現した。もうこれ以上磨く必要は無い、充分だ。名残惜しい気持ちに後ろ髪を引かれながらベルトグラインダーの電源を落とす。ため息のように音の調子を下げて数秒回り続けた後、老いた装置は一仕事を終え、プレハブに静寂が戻ってきた。
仕方がない、次は調査に移ろう。プレハブの壁にあるスイッチを押して消灯する。次は付くかも保証できない蛍光灯が消え、加工機達の姿が闇に溶ける。ガタついたドアを無理くり閉めて、薄汚れて人の寄り付かない加工場に背を向ける。
他の加工依頼が飛び込んでこない限りは来月、あるいは再来月になるまでしばしの休みを取ってもらうことになる。壊れて動かなくなるまでは彼らに仕事をしてもらおう。もはや存在すら知らない人もいる老いた装置達だが、まだまだ仕事はできる。新しいのに比べれば騒々しいし動きも悪いが、この世に生み出されてきた本分を果たすことができる。壊れて動かなくなるまで、私は彼らを頼るのだ。