ある日の雑談
私「ムリ・ムダ・ムラを探して無くす、それを指針にするといいよ」
若手「ムリ・ムダ・ムラですか」
私「そう、トヨタ生産方式でよく使われる言葉だね。無理があったり無駄があったりムラがあったりするのは何事においても宜しくない。実に宜しくない。無理があると長続きしないで効率が落ちていくし、無駄があるのはまさに無駄で、ムラがあるということはどこかしらに無理や無駄が存在しているということなんだ。この3つの観点で見ると、意外と改善すべきところが見つかったりするんだよ」
若手「そうなんですね」
私「例えば探し物、これって凄く無駄だよね。サッと探してパッと見つかったほうがよっぽど早くて能率的。探し物は究極の無駄だと言えるくらいに無駄だと思うよ。整理整頓をするよう上司が口うるさく言うのは、まさにこの無駄を無くすためなんだよ」
若手「確かに探し物は無駄だと思います」
私「とにかく効率化っていうのは凄く重要なんだ。別に経営者目線ってわけじゃなくて、個人の観点からしても重要なんだよ。例えば4時間かかる仕事があれば、そこからムリムダムラを削って2時間に圧縮することを目標にする。浮いた2時間は自由に使っていい。効率化したことを上に報告して評価アップを狙ってもいいし、その時間で別の仕事を終わらせて残業せずに帰ったっていい。なんなら効率化したことは内緒にして、こっそり2時間サボってもいい。バリバリ仕事をするにしても、プライベートに時間を割くにしても、どういう方向を求めるにしてもまずは効率化をして余裕を作ること、それが入口として必要だからね。仕事量に溺れていっぱいいっぱいになっちゃうとどうにもならないから、自分の好き勝手自由にやるためのバッファ作り、それが効率化なんだ」
若手「分かりました」
いつの間にか後ろに立っていたベテラン「いや、サボるなよ」
心臓がビクッって跳ねました。
考えた言い訳
いや、でも、やることさえやっていればサボってもいいと思うのですよ。私は雇用者である経営者じゃないですし。そもそも業務範囲を超える個人の努力によって成し得た効率化であれば、その果実は個人に還元されることが望ましいじゃないですか。それを会社が奪い取って利益に変えてしまうのは立派な泥棒なんじゃなかろうかと思うわけで。個人の自主的な努力の成果まで刈り取るなんて『やりがい搾取』と言わざるを得ない悪行にござる。それは許されるべきではないと思う次第でござ候。
実際
私「いや、サボってもいいじゃないですか、やることさえやってれば」
直球の回答。オブラートに包むことを知らないのだろうか。
まあ、本音だから仕方がないね
サボりを推奨していると言えばそうなのですが、厳密に言えばサボりそのものを推奨しているのではなく、「サボってもいいしサボらなくてもいい、なによりそれを選択できる自由が必要だから、頑張って余裕を作ろう」と伝えています。
もちろんこの世には【仕事を効率化すると浮いた時間に別の仕事をぶち込まれる問題】が存在するのは事実ですが、なに、投げつける仕事にも限界というものがあり、来た仕事も圧縮し尽くしてしまえば仕事を振る側のほうが種切れになります。周りの仕事も全部やってしまえばそれ以上仕事を振りようがありません。
さらにはパッケージ化して誰でも扱えるように仕事を圧縮すれば、そもそも出来る人だけに仕事を渡す意味すら無くなります。なにせ誰にだって出来るのですから。
いや、まあ、そこまでやるのは相当の気狂い振りですので、そんな仕事中毒になることを他人に求めるようなことはしませんが。
ただ、仕事をバリバリこなすにしても、プライベートの時間を確保するにしても、上手いこと時間を作ってサボるにしても、やるべきことをササっとこなして時間を作ることが必要であり、そのためには効率をある程度求めていくことが健全で合理的で無難だと思います。
やることもやらずにサボったら怒られますからね。怒られる時間は怒る側にとっても怒られる側にとっても無駄なのです。