どうでもいい話をしたくなったので、唐突に車の話をします。
HONDAから離れられない
私はHONDA車に乗っています。
前の車もHONDAでした。
次に買うとしてもHONDA車を買います。
私の人生においてHONDA車以外を買う選択肢は今後も生まれないでしょう。
何故ならば、HONDAを愛しているからです。
この”愛している”はとても単純で、しかしややこしい感情です。極めて受動的かつ外部的要因によって愛していると言っても過言ではありません。
要するに”愛する”とはどういうことなのか、ある種その本質が問われる話でもあります。愛とは必ずしも能動的かつ内部的に生まれるものではないということです。
・・・なんて言ってみたものの、そんな大層な話ではありません。
今は定年して悠々自適に趣味を楽しんでいる私の父は、HONDAのエンジニアでした。我が家はHONDAから支払われた給金によって生計を立てていました。
そんな実家へ、詳しいだろうから話を聞こうと私が社会人になり自分の車を買う際に車の相談へ行ったのが運の尽き。
父曰く、「好きな車を買えばいいだろう。ただ最初の車は排気量が小さいほうが良い。下手なうちに飛ばせる車に乗ると事故が怖い」
母曰く、「あんたはHONDAから頂いたお金でここまで大きく育った、あんたの血も骨もHONDAで出来ていると言ってもいい。HONDA車を買ってHONDAに恩返しすべきだ」
まあ母のジョークではありましたが、確かにHONDAには世話になったのだろうなと私が思ったのもまた事実です。
さらに言えば、「好きな車を買えばいい」と嘯く父でしたが、前に長女がTOYOTA車を買ったとき、少し傷ついた顔をしていたことを私は知っています。
つまり私がHONDA車を買うのは、HONDAへの恩返しというよりは父に喜んで欲しいという気持ちがあるからです。父母を愛している以上、父母の愛するHONDAも愛する、そんな回りくどい単純でややこしい受動的で外部的な愛情をHONDAにもっています。
そうして私はHONDA車しか買わない、必ず新車で買う、正規ディーラーで少し高いお金を出して車検をする、割高な気分になるディーラーのメンテナンスパックもちゃんと契約する、HONDAにお金を落とす良顧客の一人になりました。
これが"愛"かと言えばなんとも判定が難しいところですが、まあ、愛の一つの形だと思います、ええ。
語ってみたものの、やっぱり大層な話ではありませんでした。
我が車のハイブリッドの感覚
そんなわけで10年以上HONDA車と共に生きており、今後もその予定です。
今はHONDAのVEZEL HYBRIDに大体6年くらい乗っています。
そんな我が車のハイブリッドについて一言。
今はHONDAのハイブリッドも進化してモーターのみで走れるようですが、うちの車は旧型のハイブリッドなのでゼロ・エミッション走行はできません。というかむしろほとんどモーターは使われません。ハイブリッドを名乗っているくせにエンジンばかりです。
HONDA一筋だったため知らなかったのですが、以前TOYOTAの車をレンタカーで乗った時、それがおかしいことに気付きました。
だいたい、以下のような感じです。
【TOYOTA車】「走り出すのですね。分かりました、まずはモーターで加速をしますね。あ、少し速度を出すのですか?ではエンジンを使いましょう」
【HONDA車】「お、走るのか。オーケー!エンジンを、吹かすぜぇぇぇ!モーターなんて知るか、巡行以外はエンジンだ!ガソリンを燃やせ!」
うちの車、モーター積んでる意味無いね・・・
いや、まあ、TOYOTA的優等生感よりはHONDA的なやんちゃ坊主感が好きではありますが。
度々ですが、今のHONDAのハイブリッドはちゃんと進化してモーターで走れるそうですよ、とフォローを念のため。
結言
愛車に乗る度に「こいつ、いつモーターを使うんだよ」と思っている、という話でした。
余談
真なる良顧客は『ポンポン車を乗り換える客』でしょうが、さすがにそこまではしないです。
HONDAが好きだからこそ率直に言いますが、HONDA車で今買いたい魅力的な車は無い・・・(ボソッ)