忘れん坊の外部記憶域

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「やってみなければ分からない」を技術屋は安易に言うべきではない

 景気の悪化、財務の悪化など、失敗できる余裕が無くなると組織はリスクテイクではなくリスクヘッジに傾きます。

 そしてリスクオフの空気が組織内に広まると組織は手広く様々な事柄を「とりあえずやってみよう」として進めるような前向きな姿勢は取れなくなり、確実に利益を上げられる事業や案件に手狭く注力するようになっていきます。

 

失敗を避けるために成功を減らす愚

 しかし不思議なことに、本来であればリスクヘッジを選択した組織は少ないリスクで収益を上げたいはずなのに、失敗を恐れて必要以上のコストを投入することがあります。

 その結果、小さな利益を得るために従来と同じだけの経営資源を投資することすらあり、これではなんのためにリスクヘッジを選択したのか分かりません。むしろ利益が縮小した分だけ組織運営が先細りになるリスクを高めているとすら言えます。

 

 私の勤める製造業でも社内外ともに年々リスクオフの空気が高まっていると感じています。以前よりも多くの品質保証書、明らかに不要な関連書類、理論上必要の無い試験の要求、様々なリスクを減らすことに幻惑されて付帯業務が増えており費用対効果が悪化しています。

 この傾向は企業の社会的責任が過去に比べて厳しくなっていることが理由の一つでしょうが、それ以上にリスクヘッジを選択した組織がリスクを避けるために過剰コストを投入する愚を犯しているように思えてなりません。

 

 技術屋の視点として、そういったリスクオフ環境下で過剰コストを生じさせる最たるものが「やってみなければ分からない」という言葉だと考えています。

 

そりゃあ「やってみなければ分からない」さ

 「やってみなければ分からない」は実に便利な言葉です。未来を見ることは超能力者でなければできないのですから、あらゆる事柄は「やってみなければ分からない」ものです。

「手に持っているボールペンは、手を離せば下に落ちます」

「本当に落ちると言えるの?データは?根拠は?実験結果は?」

 もしかしたら今この瞬間にも宇宙の物理法則が変化してボールペンは下にではなく上に落ちていくかもしれません。たとえ今この瞬間はボールペンが下に落ちたとしても、明日、来月、来年にも同じように落ちるかどうかは不明です。

 これがどれだけ馬鹿馬鹿しい考えだとしても、確かに「やってみなければ分からない」でしょう。

 よって「やってみなければ分からない」と誰かが安易な気持ちで言うだけで、あっという間に研究開発における試験工数が増加して収益を圧迫することになります。

 これは明確に過剰コストであり本来は削減されるべきところですが、組織がリスクオフの空気で包まれると同調圧力によって強行されることになります。

 

 とはいえ、このような考えに縛られていては何もできません。地面に穴が開くことを恐れていては一歩も踏み出せませんし、隕石が頭に落ちてくることを考えていては家から出ることすらできません。

 よって人は幼少期から学び身に付けてきた科学的方法、ビジネス的に言えばPDCAに基づいて意思決定を行う必要があります。過去の記録や理論を用いて仮説を立て、必要に応じて実験を行って観察し、結果を分析して判断する、そういった通常の思考手順です。

 先の例であれば、ボールペンが下に落ちることは万有引力の法則から自明です。よって実験して確かめる必要はありません。万有引力の法則が変化するなんて仮説は考えるだけ時間の無駄です。

 実験が必要になるのは適切な仮説が存在する場合のみです

 

「やってみなければ分からない」を避けるべき理由

 つまり、「やってみなければ分からない」という言葉は使っていい場合と望ましくない場合があります。

 技術的な知見や理論に基づき所定の条件においてどのような結果が生じるかを推定した仮説が構築できる場合は、実験してみなければ仮説の検証ができない以上「やってみなければ分からない」として実験する必要があります。

 対して、過去の知見や理論を考慮せず、仮説もろくに立てていない状態で「やってみなければ分からない」とのたまうのは論外です。

 実験やテストは仮説を検証するために行うものであり、とりあえずでやってみるものではありません。手当たり次第思い付くままに実験をしていてはいたずらに経営資源を浪費するばかりです。

 もう少し簡潔に言えば、「やってみなければ分からない」を用いてよいのは「何故やってみなければ分からないか」を説明できる場合のみです。それも無しに「やってみなければ分からない」を乱用するのは避けるべきです。

 

 率直に言って、まともな仮説も無しに「やってみなければ分からない」と口にするのは、『私は技術的な知見も理論も知らず、仮説を立てる知能も持っていないボンクラです』と公言しているようなものです。ロクな思考もせず「やってみなければ分からない」と言うだけならば誰にだって言えるのであり、そこそこの給料を出して技術屋を雇う意味がありません。そんな技術者はクビにしてアルバイトを雇ったほうがマシです。

 

結言

 技術屋の仕事は「こうすればこうなるだろうが、やってみなければ分からない」と前段階の仮説を適切に構築して、「やってみなければ分からない」範囲を狭めることです。