忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

怪異の典型に不足しているパターンの考察

「私メリーさん。今、あなたのキャッシュカードを持っているの」

「私メリーさん。今、あなたの銀行の前に居るの」

「私メリーさん。今、ATMの前に居るの」

「私メリーさん。今、あなたの暗証番号を入力しているの」

 

 まあ、怖いような、怖くないような。

 

恐怖が怪異を生み出す

 妖怪、妖精、物の怪、化け物、あやかし、怪談、魔物、モンスター。

 これら怪異私たち人間が持つ何かしらの恐怖から生じたものが多くあります。闇に潜む妖怪は私たちが闇を恐れるからこそ意味を持ちますし、子どもを取り換える妖精や子どもを隠してしまう物の怪は私たちが子どもを失うことを恐れるからこそ恐怖の対象足り得ます。

 

 人々が多種多様な怪異を生み出してきた最たる恐怖はやはり失うことへの恐怖でしょう。

 血液、正気、四肢、家族、寿命、将来、そして命。

 そういったものを奪うことを象徴する怪異たちは、姿かたちを変えつつ、あるいは維持しつつ、昔から長くメジャーなものとして世界各地で語り継がれています。

 

財産系の怪異が少ない気がする

 さて、ふと思ったのですが、財産を奪う怪異は意外と少ないように感じます。

 まったく居ないわけではないのですが、それらは河童や天狗、吸血鬼や狼男、そういった空想上のメジャーなキャラクターではなく、どちらかと言えばタヌキやキツネのような具体性の高い物の怪として現れることが多い印象です。

 直接的な財産の強奪例としてはメジャーどころで強いて挙げれば桃太郎の鬼でしょうか。ただ桃太郎は鬼が財産を奪うこと自体は主題ではないので少し違うような気もします。

 

 少し不思議です。

 大抵の人は財産を失うことを恐れるかと思います。それこそ吸血鬼によって血液を失うよりも、財産を失うほうがよほど現実的で恐怖の対象になるはずです。

 なぜ空想上のメジャーなキャラクターには財産を奪う系の怪異があまりいないのでしょう。

 

 とはいえ、深く考察するまでもなく理由はいくつか考えられます。

 まずはそもそも個人の貯蓄自体がかなり近代的な発想だという点です。

 近代に至るまで、家や個人において充分な貯蓄を形成することができたのは極めて一部の王族・貴族・豪商のみであり、人口の9割以上を占めていた第一次産業の従事者である農民は充分な貯蓄を形成することができませんでした。断定するには少し極端な物言いではありますが、個人貯蓄・大衆貯蓄が一般的に形成されるようになったのは産業革命以降です。

 それまでの村社会ではせいぜいがコミュニティを持続維持管理するための共有財産を形成するのがせいぜいであり、それすらも充分ではなかったために時々訪れる飢饉によってコミュニティの崩壊が生じていたわけで、個人の貯蓄形成は当時では非現実的です。

 個人の貯蓄が無いのであれば当然それを失うことへの恐怖もあるはずはなく、だからこそ長年語り継がれてきた事例としての財産を奪う怪異はほとんど存在していないのでしょう。

 

 他にも、怪異は確かに失うことへの恐怖が生み出すものではありますが、怪異は理解の範疇外であってこそ怪異足り得ることも理由でしょうか。

 つまるところタヌキキツネを想像するまでもなく、財産を奪おうと"人を化かす"存在として、現実社会の人間がいるからでしょう。それは理解の範囲内であり、わざわざ財貨を奪う怪異を想像してキャラクター性を持たせるまでも無かった、それだけかもしれません。

 

結言

 「血液ではなく預金残高を吸う吸血鬼」「足を切りつけるのではなく財布をスっていく鎌鼬」「尻子玉ではなく銀行印を奪っていく河童」などをなんとなく考えていたのですが、これらは別に怪異である必要はないですね。そういうことをするのは大抵の場合、人間です。

 怪異よりも人間のほうが怖いのかもしれません。

 

 

余談

 ある意味怖い話。

「私メリーさん。ねぇ、あなたのお金を引き出そうと思ったのに、預金口座の残高が全然無いのだけど」