幽霊とは、なんて、いつものように言葉の定義から書き始めるまでもなく、幽霊は誰もが知っている存在です。この世への未練や執着を断ち切れず、肉体が滅びても成仏できずに現世をうろつき人々の前に姿を現す存在を指します。
物語上では様々な幽霊のあり方が描かれていますが、やはり典型例としては怨恨や復讐のために現世へ留まる”恐れるべき存在”であることがメジャーでしょう。誰かへの恨みや嫉み、金品や他者への執着、世の理不尽に対する憎しみ、そういった人の取り扱える範囲を超えた莫大で不定形な負の感情を不定形なまま可視化したものが幽霊だと言えます。
現世や人々に害をもたらさない幽霊は恐れるに足らず、幽霊はその抱え込んだ負の感情を晴らすために現世へ留まり世に負の感情を表出させるからこそ恐怖の対象足り得ます。
幽霊になるためには
よって幽霊になるためには負の感情を溜め込み、その感情を晴らせずに無念のまま肉体を失う二段階のプロセスが必要です。
負の感情を溜め込むことは必須要件です。幽霊は負の感情を晴らすためにこそ現世に留まるのですから、大きな負の感情を抱え込んでいなければなりません。また幽霊は負の感情を思うままに晴らすためには人の手に負えない存在でなければならず、物理的な妨害を苦にしないためにも肉体を失う工程が絶対に必要です。
現代人は幽霊になり得るか
幽霊になるための工程を現代人は踏めるかと考えると、少し難しい時代になったと思います。
なにせ現代ではSNSが発展し、自らの負の感情を公に公開することで溜め込まずに晴らすことができるようになったためです。SNSを潜れば、そこでは政敵への悪意や身内への不満、不足への苛立ちや他者への嫉妬、理不尽への恨みや他者への憎しみ、そういった怨嗟が時に表層へ姿を現すほどに埋もれています。
もちろんSNSにはそういった負の感情以外も無数に存在しており、負の部分は一側面に過ぎません。
とはいえ、SNSの発展は負の感情を晴らす場をもたらした結果、幽霊の存在を殺してしまったのかもしれません。
結言
人類の人口が急増したことで現世に幽霊が溢れかえることを心配される方がいらっしゃるかもしれませんが、恐らく大丈夫です。幽霊の総数が増え続けることは心配しなくてもいいでしょう。負の感情を吐き出す場が現代には存在している以上、きっと現代人は幽霊にはなりません。”恐れるべき存在”としての幽霊は今後消え去っていくであろう存在です。
いえ、あるいは消え去りなどせず、現代の幽霊はSNSで生息するようになっただけかもしれません。
なにせ幽霊とは「溜め込んだ負の感情を晴らそうとする」「肉体を持たない存在」です。SNSで怨嗟の声をあげている方々はまさしくそういった存在と言っても過言ではないのですから。
もしかしたら画面の向こうで憎しみの言葉を紡いでいる方々は、その方々こそが現代の幽霊、なのかもしれません。