唯一無二の"ユニークな存在"になりたがる気持ちは普遍的で一般的なものです。情報化社会の進展に伴い人々が見渡せる世界の範囲が広がったことやアテンションエコノミーの発達によって人々の”ユニークな存在”になりたい欲求は高まっているのではないかと思われます。
そんなユニークに関して思うところを。
年齢とユニークさへの欲求
ユニークさへの希求は歳を取るにつれて薄れていく感情ではありますが、若者は将来の見通しが立っていない分だけ可能性があり、ユニークな存在へ成ることへの気持ちが強いでしょう。
歳を取ると若者ほどにユニークさを求めなくなるのは「ユニークになるのは難しいと悟るから」なのか、あるいは「実際にユニークになったから」なのかは判別が付きません。おそらく人それぞれ異なる理由を持っていることでしょう。
ただ、私個人としては後者の考え方をしています。大人は子どもの頃に思っていたよりもよほどユニークです。同年代を集めて画一的に管理している学校を出て社会に足を踏み入れると、人々は実に多種多様で、誰一人として同じ人は居ません。大抵の大人は「何者にもなれなかった成れの果て」ではなく、「成るべくして成ったユニークな個人」として実在していると感じます。
もちろん自らを「何者にもなれなかった成れの果て」と定義することは自由だとは思いますが、それはなんとなく卑下し過ぎな気がします。
原動力とベクトル
若者が特に抱えているユニークさへの希求はとても貴重で大切なものです。それは他者よりも秀でたものを手に入れようと努力するためのエンジンであり、不明瞭な未来に努力の一歩を踏み出す勇気への燃料であり、肯定されるべきポジティブな感情です。
もちろんポジティブであればいいとは限りませんので取り扱いは要注意です。悪事を動画サイトに投稿して目立とうとする行動はユニークさへの希求が引き起こす典型的なトラブル事例だと言えるでしょう。そういった行動は許容されるものではありません。
ユニークさへの希求は大きさと向きを持った幾何ベクトルとして取り扱うことが良いと思っています。ユニークになりたいという気持ちの大きさを否定して萎縮させるのではなく、突き進む向きだけを調整して崖から転落することを避ける、そのような取り扱いが良いでしょう。
焦ることはない
取り扱いさえ気を付ければユニークさへの希求は貴重で大切な感情ですが、何事にも両面があるもので、ユニークさへの希求は時に焦燥感を生じさせます。強力なエンジンは優れた加速性能を持つと共に事故の危険を高める側面を持っていることと同じです。すぐにでも何者かにならなければいけない、今すぐにでも何かしなければ、そんな焦りは時に向きを誤って崖に突き進む原因となりかねません。
余計なお世話ではあるのですが、アクセルをベタ踏みする必要はないでしょう。
冒頭でも述べたように、唯一無二の"ユニークな存在"になりたがる気持ちは普遍的で一般的なものです。「ユニークになりたい!」「唯一無二の個性を持ちたい!」と焦れば焦るほどそれはユニークではない感情になってしまいます。
せっかくユニークになりたいと思う原動力を陳腐で非ユニークな焦りに浪費してしまうのは勿体ないものです。その気持ちは大切に、しかし振り回されないよう、心の中心に置いて核にするのではなく、必要に応じて取り出す道具的に取り扱うことが良いかと思います。
結言
成りたいユニークの形は人それぞれですので、焦燥感に焼かれず自らの望む方向へ進めるよう、上手いことユニークさへの欲求と付き合っていきましょう。