忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「性格診断をやってみてください」と初めて言われた気がする:INTJ-Aだった

若手「興味あるんで、このMBTI性格診断テストを受けてみてください」

私「え、うん、いいよ」

 

 後輩から性格診断テストを求められたのは多分初めての経験です。

 分析癖は持っていますが、あまり自己分析には時間を割いていないので、ちょうどいい機会と思ってやってみました。

 

無料性格診断テスト、性格タイプ詳細説明、人間関係およびキャリアのアドバイス | 16Personalities

 

結果

 INTJ-Aだそうです。

 INTJは建築家タイプと呼ばれており、サブセットでINTJ-AとINTJ-Tに分類されているそうです。INTJ-Aはポジティブで肯定的で気持ちが安定しており、INTJ-Tはネガティブで否定的で気持ちが不安定、だそうです。

 つまり、私は多少内向的なそこそこの直感型で、ある程度論理と計画を重視するポジティブで肯定的で強烈な自己主張型らしいです。なんとも、納得感はあります。

 

 この手の性格診断や心理テストは自己診断である以上科学的とは言い難いものですし、バーナム効果の影響を大いに受けかねません。そのため、結果を信じるのではなく解説を活用する方向が良いと思います。結果の通りに自己を演じたり卑下したり誇張する必要はなく、良さげなことが書いてあればそれを活かせばいいですし、悪そうなところは見直せるか検討すればいいだけの話です。

 そんなわけで、気楽な気持ちで性格診断テスト結果と自己分析を突合してみましょう。

 

分析結果と自己分析

“建築家”型の性格 (INTJ) | 16Personalities

この上なく孤独、そして最も希少で戦略に長けている性格タイプのひとつで、建築家型の人達自身、これをすべて痛いほど感じています。全人口のわずか2%を占めていて、特に女性が珍しく、全人口のたった0.8%です。自分と同じ考えを持ち、その飽くなき知的追求心や、まるでチェス試合のような駆け引きについていける人を見つけるのに苦労することが多いのです。

 孤独感は確かにあります。ただそれが問題にならないと言いますか、気の合う人と狭く深く付き合えばいいやと思っているので、孤独感の積極的な解消に走る気持ちはありません。人間関係は広さよりも相互理解の深度を重視しています。

 

想像力が豊かな一方で決断力があり、野心に溢れている反面、引っ込み思案で、驚くほど好奇心がありますが、エネルギーを浪費しません。

 決断力や好奇心はあると思いますし野心家でもありますが、引っ込み思案ではないです。自己主張型なので、明確にモノ申します。

 

生まれつき知識欲が強く、それは若年期に現れ、子どもの頃に、よく「本の虫」と呼ばれています。侮辱としてこう呼ばれているのかもしれませんが、このあだ名が自分にぴったりだと自覚するどころか、それを誇りにさえ感じ、自分が持つ幅広く深い知識体系を大いに楽しんでいます。また、持ち前の知識を喜んで他人と共有する一面もあり、選んだテーマについて熟知しているという自信がありますが、その直感型および計画型の気質により、持論をゴシップのような「つまらない」娯楽のための話題として共有するのではなく、その分野の中で、見事な計画を立てて実際に役立てることを好みます。

 知識欲は強く、本の虫でもあります。自分の知識体系を楽しんでいることは間違いなく、実際に役立てることも大好きです。ただ極端な内向型ではないため、持論をゴシップとして消費することも嫌いではありません。

 

大抵の人には理屈に合わなく見えますが、建築家型の人達は、明らかな矛盾であっても、それが少なくとも純粋に合理的な観点から見た時に、完全に理に適っている場合、それに従って生きることができます。例えば、最も夢想的な理想主義者であると同時に、最も辛口な皮肉屋でもあります。あり得ないほど相対する性質のように見えますが、これは、建築家型の人達が、知性を活かして努力し熟考することで、あらゆる物事が可能になると信じている反面、同時に、人はあまりにも怠惰で浅はか、または利己的なため、実際にこうした素晴らしい結末には至らないと信じているためです。しかし、現実に対してこうした冷笑的な見方をしてはいますが、いったん何かに興味を持つと、それに関連すると信じる物事を成し遂げます。

 理に適っていれば大体は従います。論理的であることを重視するのは「論理は皆が納得できる共通言語として優れている」と思っているためであり、皆が納得して幸福になる方向性を感情的に嗜好しているためです。論理以外のもの、例えば感情や習慣や伝統は、皆で擦り合わせて納得する結論に至ることが論理で擦り合わせるよりも難しいと考えています。

 根は皮肉屋ではありますが、そこまで冷笑家ではないです。人間や社会に対してもポジティブで肯定的に見ています。確かに人間は怠惰で浅はかではありますが、勤勉で熟慮であれば良い結果がもたらされると思うほど公正世界仮説を信じていません。

 

自信と謎に満ちたオーラを放ち、持ち前の鋭い観察力や独創的なアイデア、驚異の論法を活かして、確固たる意志と腹芸で変更を成し遂げます。それが時には、触れるアイデアやシステムすべてを、完璧主義的な感覚や道徳感覚さえ用いて、夢中になって分解し、再構築しているかのように見えます。こうした過程についていけるだけの才能がない人や、さらに悪いことに、その趣旨を理解できない人は、すぐに、そして永遠に建築家型の人達に対する敬意を失います。

 この辺りはプライベートとビジネスで明確に区分しているところです。プライベートではこの軸で評価していませんが、ビジネス中は完全にこの軸で判断しています。厳しいですが、付いてこれない技術屋に対しては敬意を失いがちです。実に悪い性格です。

 

規則や制限、伝統は、建築家型の人達が忌み嫌うものです。あらゆる物事は、疑問視され再評価される余地があるべきだと考えていて、機会を見つけると、論理的に優れ、時には配慮に欠けた、そしてほぼ例外なく型破りな自らの方法やアイデアを一方的に成立させます。
これは衝動的なわけではありません。建築家型の人達にとっては、最終目標がどんなに魅力的になろうとも、必ず理に適っていなければならず、全てのアイデアは、その出所が自分自身か他人かにかかわらず、絶えず「これは機能するだろうか?」という断固たる目で検証されるべきなのです。このメカニズムは、あらゆる物事や人々に対して常に適用され、これが元でトラブルに直面することも多くあります。

 これは少し違うところです。あらゆる物事は疑問視され再評価される余地があるとは考えていますが、規制や制限、伝統を安易に再構築することによるトラブルは回避されるべきだと考えています。摩耗を避けて全体最適な状態でスムーズな改革が進むよう、計画は実際に合わせて修正されていくべきだと信じます。

 

建築家型の人達は、才能に溢れ、時間をかけて咀嚼してきた知識体系に自信を持っていますが、残念ながら、そのテーマに社会的な取り決めが含まれることはほぼありません。真実と奥深い知識を追求するタイプの人にとって、罪のない嘘や世間話そのものが聞くに堪えがたいものですが、建築家型の人達は、多くの社会的な習慣を実に愚かだとさえ見ています。しかし皮肉にも、注目を浴びることなく、親しい仲間と共に作業できる、自分にとって心地良い環境にとどまることが、建築家型の人達にとって最も良い場合が多いのも事実です。こうした環境では、生まれ持った自信がみなぎり、異性または同じような気質と関心を持つ人々を惹きつけられるのです。

 ここは大きく異なります。私はそこまで内向型に特化していないため、社会的な取り決めや習慣についても注目しています。ただ、自分にとって心地よい環境に留まることを望ましいと思っていることは事実です。私としては社会的な部分にも手を入れて、より望ましい環境作りをしたいと思っています。

 

建築家型の人達は、人生を巨大なチェス盤と捉えていて、知性を活かしてじっくり考えながら絶えず駒を移動し、常に新しい戦略や戦術、危機管理計画を評価しながら、先手を打って状況をコントロールし続け、自分の動きを最大限に確保します。これは、建築家型の人達が良識を顧みずに行動しているわけではありませんが、道理型の人達の多くには、建築家型の人達の感情的な行動を嫌う性質が、心無いように映るかもしれません。架空の悪役(または誤解されたヒーロー)の多くが、建築家型の人達をモデルにしているのは、このためです。

 え、INTJって悪役のモデルなんですか?

 良識や感情を優先しないのは全体最適になるかどうかを考えていて、「皆が幸せになるためには論理という共通言語を用いたほうがいい」と思っているからであって、それは違う形の良識や感情ではなかろうか、と言い訳してみます。

 極端な事例ですが、相手の幸福を願う善意100%の感情があれば高価な壺を売ってもいいかと言えば、そういったことには同意できません。善意の感情よりは実際的で論理的に相手のためになる善行を優先したいものです。

 

結言

 技術屋、設計屋として働いているのは良い職業選択だったのではないかと思いました。そこそこに天職です。

 

 INTJが架空の悪役のモデルに多いのは少し意外で、ある意味納得でした。道理で悪役の描き方に私が興味を持つわけです。