忘れん坊の外部記憶域

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社会の多様化と変化の加速に対するロールモデルの考え方

 社会人のキャリア形成や女性の社会進出など、世の中では様々な事例におけるロールモデルの存在・非存在、そしてその是非が議論がされています。

 確かにロールモデルは有効な場合もあります。ただ、現代ではロールモデルに依拠したライフスタイルの確立は限界を迎えつつあるのではないかと考えているため、それに関してつらつらと述べていきます。

 

多様性とロールモデルの衝突

 ロールモデルとは特に若い人の模範となるスタイルや人を指す言葉です。文字通り、役割(Role)の手本(Model)となる存在を意味しています。

 つまり、「社会人とはこういうもので、大人とはこういうもので、男性はこうすべきで、女性はこうすべきで、30代はこうあるべきで、40代はこうあるべきだ」といったものです。

 高度経済成長期など社会の変化方向がある程度定まった時代であれば、その時代の社会規範に沿った各種のロールモデルが確立して機能することでしょう。それは多少窮屈で自由度が少ないものの、人々はその模範に沿って行動することで人生の成功が期待できます。

 

 しかし現代は社会の変化する速度が加速度的に増加し、先行きが不透明で将来の予測が困難な時代となっていると言われています。

 まあ、別に昔であっても先行きが透明だったとは思いませんが、バズワードとして『VUCAの時代』が謳われていることからも、そのような時代だと人々が思っている、という認識は正しいでしょう。

 また現代は多様性の時代でもあります。年齢・性別・人種などを問わず、様々な人々がそれぞれの選択に基づいて自由に生きていくことが是とされています。

 

 そのような時代において、固定的で典型的なロールモデルがどの程度役立つかと言えば、正直なところ効力を失いつつあるのが現実でしょう。

 ロールモデルは確かにその『あるべき姿』を目指すのであれば有益ですが、もはや『あるべき姿』自体が多様化に従って無数に存在しています。何かしらのロールモデルを構築したとしても、それはほとんどの人にとってIt's not for me(私には合わない)モデルにしかなりません。

 さらに言えば、たとえ自らに適したロールモデルを見つけたとしても、時代の変化が加速している昨今ではロールモデルと同じように行動したからといって同じ結果に至れるとは断定できなくなっています。

 

 典型的なロールモデルに従ってレールの上を歩いていけば人生は事も無し。

 そんな時代では無くなりつつある以上、ロールモデルへの過度な期待は危険ですらあります。現代のレールは無数にあり、そのレールの持続性は保証されていません。

 

結言

 もちろん全ての分野、全ての業界、全てのパターンでロールモデルが通用しなくなっているとは言えません。例えば伝統的な分野であれば多様化と変化の速度が緩く、今なおロールモデルが機能すると考えられます。またメンターとして個々人がロールモデルを設定することにも意味があるでしょう。

 総論として、現代は長い人生を預けるほどにロールモデルの安定性が保証できないことから、社会的な模範としての大きなロールモデルを構築するのではなく個人に適した狭い範囲でのロールモデルを状況に応じて都度カスタマイズしていくことが必要になっていくと考えます。

 

 

余談

 さらに言えば、情報化が進むにつれてトップレベルの人々が可視化された結果、社会的なロールモデル自体がハイスペックになっていることもロールモデルが機能しなくなっている原因だと考えます。

 ロールモデルはロールできる範囲、人々の身の丈に合った存在でなければならず、極めて一握りの誰もが知っているスゴイ人は本来的にはロールモデル足り得ません。

 なにせ誰もがそうはなれないのですから。