日本では政治家が信用されていません。
それは体感的にも多くの人が感じているでしょうし、社会学者による国際社会調査プログラム(ISSP)においても日本人は明確に政治家への不信を示す結果が出ています。多くの先進国では20~50%程度の人が政治家を信頼しているのに対して、日本は10%未満です。
ISSPの2020年調査データを分析したいところですが、残念ながら私は専用の統計分析ソフトを持っていないため、2010年のISSP調査結果を用いた記事の紹介のみとします。
政治家への不信の理由は恐らく複合的
なぜ日本で政治家への不信が猖獗を極めているかは各所で様々議論がなされています。
政治家のスキャンダルや汚職は間違いなく大きな理由の一つでしょうが、それが根源ではなさそうです。なぜならば他国の政治家も日本の政治家と同じようにスキャンダルや汚職を起こすことがありますし、汚職の度合いで言えば日本はそこまで突出していないからです。日本の腐敗認識指数は180か国中18位であり、上には上がいるものの著しく酷いわけでもありません。
約束や公約の意味合いが日本社会では重く、言ったことが守られなかった場合の失望が大きいことも理由の一つと考えられます。英語でのManifesto(マニフェスト)は声明(statement)であり努力目標や方針を意味しますが、日本での公約(マニフェスト)は必達目標に近いニュアンスを持っています。もちろん海外でもマニフェストが実現できなかった場合は支持率が低下しますが、その度合いには差がある可能性があります。また、日本人には完璧主義者が多いことも遠因かもしれません。
国民があまり政治的な活動を行わないことも政治家への不信が進む一端を担っている可能性があります。当然のこととして、人は知らないモノや知らない事、そして知らない人を信頼することはできません。とはいえ、詳しく知ったからこそ不信を持っている人も多数居ることでしょうから、これもただの可能性の一つです。
他にも選挙や世襲といった政治システム自体への不信など政治家への不信が高まる要因はいくつも考えられますが、そのどれかが根本原因ではなく、恐らくは複合的に影響し合って日本の政治家不信を生み出していると推測します。
政治家不信が生み出す質の低下
日本における政治家不信の度合いが強いことの是非や対策の要否はさておき、個人的な妄想・愚見として、政治家への不信が高まると政治家の質の低下を招くのではないかと懸念しています。
一般論として、優秀な人間は職業選択の自由が高まります。そしてさらなる一般論として、人は他者から感謝されなかったり蔑まれたりする職業へ就くことを好みません。
つまり、政治家への不信が高まり政治家が蔑まれる職業になると、優秀な人は自らの自由を行使してそのような職業を避けるようになるかと思われます。
結果として政治家を志向するのは信念に基づいた一部の優秀な人と政治家以外にたつきの道を歩めなかった多数の優秀ではない人、そして政治家へのハードルが低い世襲政治家ばかりになる、そんなことが考えられます。
統計データの無い想像に過ぎませんが、政治家への不信と政治家の質には一種の相関関係があると推察します。また、日本に世襲政治家が多い理由の一因かもしれません。
結言
シンプルに政治家への不信を改善すればいいかもしれませんが、それは簡単な話ではありません。ハッキリ言って、優秀ではない政治家に対して人々が不信を抱かないことは難しいでしょう。
優秀な政治家を増やすためには不信を改善する必要があり、不信を改善するには優秀な政治家にいなければならない。ニワトリとタマゴのどちらが先かと同じで、抜け出すことが難しい負のスパイラルです。
素朴で非現実的な結論ではありますが、まずは出来る範囲で少しずつでも意識を変えて政治家への不信を減らしていくことから始めるしかないのかもしれません。それで現状が改善するかはまったくもって断定できないのですが。