大きな仕事の〆としての出張が無事終了し、ひと段落です。
今回の件についてはやれるだけのことはやったものの上手くいくかは確証が無く、しかし上手くいかないと半年以上掛けて費やしてきた諸々のコストが全て無駄になり戦略規模で影響が出ることは分かっていたため、上層部からのプレッシャーは相当なものでした。
(プレッシャーをかける暇があるならもっとリソースをくれよと思う私)
そんなプレッシャーの影響か、先日の出張では少し早めに現地入りして、ファミレスで昼食を取るのはイヤだったので良さげなランチの店を探しつつ、有名な神社で上手くいくようにお祈りをして、帰り際に御守りまで買ってみました。まさかの神頼みです。
祈りが通じたのか努力が報われたのか、何はともあれなんとか無事にひと段落です。これでようやく上からのプレッシャーが弱まりメンタル的にも楽になります。今はとにかく残務のことは忘れて、疲れた心身を休めたいものです。
そんなわけで、ここまでの文章も脳を使っていませんが、ここからもほとんど脳を使わない雑談を展開していきます。
「分かりやすさ」と「正確さ」
当ブログには国際統計などを読み解いたり解説している記事があり、SNS上でそういったテーマが議論されている際にうちのブログ記事が引用されているところを稀に見かけます。
それはまあ別にいいのですが、先日、Twitterで実装されたコミュニティノート機能で気になったことがありまして。
コミュニティノートはツイートに対して他のユーザーが『背景情報を付け加える』仕組みです。機能の主目的は補足情報の追記ですが、場合によっては「このツイートは不正確です、正しくは~~~」といった形でファクトチェックの用途で使われているのを見かけます。
それ自体は特に悪くなく情報を多角的に見るためにも良い機能だと思うのですが、怖いのは補足情報の正しさは誰がどう担保するのか不透明な点です。人間には認知バイアスがありますので、コミュニティノートで「このツイートは不正確です、正しくは~~~」と書かれると、そちらの情報が無条件に正しいと感じてしまいがちなものだからです。
というのも先日、あるツイートに対するコミュニティノートで「このツイートは不正確です、これに関しては以下のような情報があります」としてうちのブログ記事のリンクが貼られているのを見かけまして。
へいへーい、その補足情報は正確かい?
いや、私は正確な情報を書くように心がけていますし、国際統計を扱う際は方法論(Methodology)を確認して数値の意味を含めて解説していますし、情報ソースのリンクは必ず貼っていますので私の言説の正誤も各自で調査できるようにしてはいます。不正確な情報をネットに公開しているつもりはありません。
つもりはありませんが、ただ、ブログの記事は二次情報です。つまり情報を解説用に加工している私自身の認知バイアスが含まれます。コミュニティノートで補足情報として追記するのであれば個人の認知バイアスが含まれないよう、直接的に統計を公開している国際団体の一次情報をリンクすべきではないでしょうか。
確かに大抵の国際統計は英語で書かれており日本人ユーザーには読みにくいかもしれませんし、生データを直接分析するよりは解説された情報のほうが補足として載せやすいのも分かるのですが、「分かりやすさ」と「正確さ」のどちらが重要かと言えば、個人的には「正確さ」のほうが大切ではなかろうかと思ったりするわけで。
結言
疲れているので問題提起と個人の見解までで終わりにします。「分かりやすさ」と「正確さ」のどちらが重要かは、各自で考える宿題にしましょう。
余談
駅前のお土産屋で、正気を疑うデザインのTシャツを見かけたので購入しました。
伊勢海老!
こういう変なシャツを見かけるとつい買ってしまうのは、なんという名称の心の病なのでしょうね。