忘れん坊の外部記憶域

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計画通りいかないことを責めると不正が生じる

 物事が計画通りに進んでいなかったり策定した当初のロードマップが守られていなかったりすると内外から批判の声があがります。場合によっては計画の修正やロードマップの更新に対しても責める声があがることもあります。

 物事が計画通り進まないことに対して不満が生じる気持ちは分かります。ただ、そのような完璧主義は余計な危険を招きかねないため、批判のやり方には注意が必要です。

 

私たちは予知能力者ではない

 小さなものはプラン、それよりも大きなものはプロジェクト、他にもプログラムやシナリオなど様々な表現がありますが、いずれにしても何らかの物事を行うためにあらかじめその方法や手順を考え企てること及びその結果を計画と言います。

 計画は物事を始める前に可能な範囲で予測して立てるものです。

 しかしながら私たちは予知能力者ではない以上、外乱や問題がどの程度生じるかを予測し切ることは不可能です。計画が予測通り完璧に進むかどうかは多分に運の要素が絡むものであり、計画には必然的に不確実性が内在します。

 そのため、当初の計画通りに物事が進まないことを徒に責め立てるのはあまり適切ではありません。それは予知能力の精度運の無さを批判していることと同義であり、本質的に無意味です。

 

 計画は実施状況に応じて修正することが前提です。

 一般的な社会人一年生の研修で「PDCAサイクル」を回すことを教えているように、プランやプロジェクトはフィードバックを受けて修正されなければなりません。

 

計画への固執が生む不正

 当初の計画に固執して物事が計画通りに進んでいないことを批判すると、不正のトライアングルのうち2つが点灯することになります。

 

 不正のトライアングルは「動機」「機会」「正当化」の3つで構成されています。

 「動機」とは不正を行うことによるインセンティブや不正に手を染めざるをえないプレッシャーが存在することです。組織のお金を横領して自らの私腹を肥やしたい気持ちや目標達成へのパワーハラスメントの存在が不正を行う動機を形成します。

 「機会」とは不正を行うチャンスがあるかどうかです。不十分なガバナンスや内部統制、不適切な仕組みによる抜け道などが不正を行う機会を生み出します。

 「正当化」とは不正を積極的に是認する主観的な事情です。不正をするのは仕方がない、不正をしてもきっとバレない、そういった主観の存在が不正に手を染める一押しになります。

 

 当初の計画が固定化されて変更や進捗の遅延が批判されると、不正のトライアングルのうち「動機」と「正当化」が内部で構築されます。

「計画を変えることはできないが、このままでは計画通り進めることはできない。当初の計画通りに進んでいるよう見せるためには不正な手段を用いてでも帳尻を合わせる必要がある、これは批判を避けるために仕方がないことなのだ」

 その結果、ガバナンスや内部統制、システムや手段などに僅かでも綻びがあれば最後の楔である「機会」が生じて不正のトライアングルが成立してしまい、不正に至ります。

 

結言

 もちろん不正をする人が悪いことは論を俟ちませんが、それは単純に個人の問題に帰結できるものではありません。また不正は当人や組織だけではなく外部にも迷惑を掛けるものです。

 よって当事者だけではなく外部の人々も不正のトライアングルが成立しないよう気を付ける必要があると考えます。過剰な批判や過度な完璧主義は不正を生み出す温床に他なりません。

 

 つまるところ、計画の達成に必要なリソースを投入しなかったことやバッファ・代替案の不足は批判対象としても問題ありませんが、計画の変更そのものを批判すべきではないということです。それは本質的に無意味であり、不正を生みかねない行為です。

 また、計画の破綻を恐れるのであれば、当初計画の是非を責めたり無理を承知で当初計画通りに進めるよう発破を掛けるのではなく、本来の目的に向かって適切な計画の修正やリソース投入が行われているかどうかを監視して指摘することが適切です。