今回は完全に個人の感想であり個人の感覚に過ぎない話をします。データや統計は一切ありません。
内容が刺さってしまう方がいらっしゃるかもしれませんが、特定の個人を刺したいわけではありません。むしろ自虐を持って自らを刺したい、そんな余計な話となります。
オブラートの在庫不足
早速本題に入りましょう。
率直に言って、勉強しているアピールを誰かにする時って伸びないんですよ。恐ろしく直球な表現ですけども。
勉強の成果報告は別です。それはただの進捗報告であり、むしろ伸びて結果が出たからこそ行える行動です。
そうではないもの、例えば「○○○の勉強をしています」や「○○○の勉強を頑張っています」みたいに他者へ自身が勉強していることをアピールするパターンは、大抵の場合で時間不足を言い訳にしたり飽きてしまったりと何らかの理由をこじつけて止めてしまう場合が多いと考えます。成長には否応なしに量的な実施が不可欠である以上、止めてしまっては伸びるものも伸びません。
これは勉強しているアピールの目的を考えると自明なことなのかもしれません。
勉強しているアピールを他者にする目的は、まず大抵の場合で見栄や自己肯定感、承認欲求や優越感に依拠するものです。他にも面子を理由に人へ開示することで退路を断つなどアピール自体には様々な目的があるでしょうが、いずれにしても他者へのアピールは何らかの報酬系を期待しての行動であり、それはつまりモチベーショナルな行動を誘発する刺激を欲しての無意識的な行動です。
それが意味することは簡単です。
勉強しているアピールはモチベーションがある状態のように見えますが、実際はモチベーションが充分ではないからアピールしているわけです。積極的にやりたいことや興味があることは楽しんだ後にその結果を報告することが一般的な流れであり、たとえ無意識的であろうとも経過をわざわざアピールしてモチベーションを維持しようとする必要はありませんので。
そもそも本当にやりたいことであれば他者にアピールはしません。子どもがゲームをやりたがるように、モチベーションに依存する必要すらなく体調が悪かろうが誰かが止めようがやりたがるものです。
だから、勉強しているアピールの実態はモチベーションの不足に他ならないと結論付けます。その帰結として、モチベーションがいずれは枯渇して継続できなくなり伸びないと、そういうことです。
結言
だから勉強しているアピールを止めようという話ではないです。どのような動機や無意識であろうとモチベーションを維持する努力に他ならないのですから、悪いことではありません。
ただ、勉強しているアピールをしたくなったり、すでにしている場合、「実はモチベーションが不足しているのではないか」と自覚的に意識することには意味があると思います。他のモチベーションを高める方策を検討してみたりと何かしら対策が打てるかもしれません。
言いたいこと
最近、英語の勉強を頑張っています。