忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

真面目であることと、責任感があることの違い

 この駄ブログでは人の性質の一つである『真面目さ』について幾度か言及してきています。

 基本的には次のようなスタンスです。

 

 真面目であることは真摯さや誠実さ、親切心といった美徳を出力することがあるため素晴らしいことである。

 しかし真面目に悪事を働く人間もいるため、真面目そのものは美徳とは限らない。

 真面目であること自体を誉めそやすのではなく、真面目さから出力された各種の美徳や行動内容を褒めるべきである。

 

 最近、真面目さについてもう少し異なる言語化ができたため、また『真面目さ』について述べていきます。

 

妹に同意

 先日、うちの妹が「お姉ちゃんは絶対に上司にしたくない」と述べていたと聞きました。まったくもって全面的に同意です。うちの姉のようなタイプを私も上司にはしたくありません。

 姉のことは好きですが、姉はもうとにかく真面目で責任感が強い人間でして、何事もピッチリカッチリキッチリしていなければ気が済まないタイプです。

 もちろんそれはとても立派なことであり、尊敬しています。

 それに対して私や妹はちょっとぬるっとしていると言いますか、だらけていると言いますか、まあなんというか、ふにゃふにゃしています。あまりピッチリしていませんし、そこまでカッチリしていませんし、全然キッチリしていません。

 こういうタイプはキッチリ系の人からすると厳しく指摘すべき対象のため、キッチリ系を上司にするととても息苦しくなるので苦手です。キッチリ系は上司にしたくありません。

 

 ただ、じゃあ仕事はどうなのかと言えば、また別の話となります。

 自分のことをどうこう言うのはあれなので妹を代表例とさせてもらいますが、妹はとても強い責任感をもって仕事をしています。愚痴をこぼしたり不満を漏らしたり仕事を嫌がったりはしていますが、投げ出しませんし、逃げ出しませんし、職務の能率的な遂行のために勉強していますし、期日は守りますし、為すべきことを為しています。態度は明らかに不真面目ですが、仕事はちゃんとこなしています。

 

真面目かどうかと、責任感があるかは別の話

 そういった性質の人を鑑みると、一般に真面目な人は責任感が強いと思われがちですが、実のところ真面目と責任感の間には絶対的な関連性はないのかもしれません

 

 実際、世の中を見渡してみると真面目と責任感は2×2のマトリクスを持っています。

 キッチリとした態度で為すべきことをカッチリとこなす真面目で責任感の強い人もいれば、愚痴をこぼし、不満を漏らし、仕事を嫌がりながらもやるべきことは責任をもって成し遂げる不真面目で責任感の強い人もいます。真剣に仕事へ取り組む態度はありつつも結果をコミットせずに為すべきことを成し遂げられない真面目で責任感の無い人もいますし、やる気も無ければ結果も出さずに投げ出す不真面目で無責任な人もいます。

 

 真面目で責任感が強い人。

 不真面目で無責任な人。

 代表的な二者の狭間には、不真面目だけど責任感がある人と、真面目だけど責任感の無い人が存在している、そう思います。

 

結言

 「クソが、マジでめんどくせえ、ふざけんじゃねえよやってられっか」と愚痴りながらも、人一倍早く仕事をこなす不真面目で責任感の強い人が世の中にはいます。

 「僕は真剣にやっていますし、人よりも長時間働いています」と真面目に仕事をしながらも、納期を守れない責任感が弱い人も世の中にはいます。

 そして仕事で重要なのは結果を出すことです。

 その点からして、態度が真面目であるかどうかは実のところ重要ではなく、どのような態度であっても為すべきことを成し遂げる責任感の有無こそが重要ではないでしょうか。

 

 

余談

 少なくとも私は、「僕は真面目にやっています」と言いながらも納期を守れない人よりは、「ホントいやねぇ」と愚痴をこぼし合いながらもテキパキと期限内に仕事をこなしていくパートさんのほうが、よほどプロ意識があり信頼に値すると思っています。

 真面目で責任感の無い人、とてもとても辛辣な表現なので普段はあまり用いないのですが、『無能な働き者』は本当に扱いに困るのです。