当ブログではプロ意識に関して度々述べてきましたが、今読んでいる書籍においてプロ意識というものが如実に表れている文章がありましたので、紹介いたします。
通常の災害でも、地方整備局は災害復旧に大きな役割を持っているが、大規模災害においては、災害復旧よりもさらに前、初動期において人命救助のために大きな役割を果たさねばならない。例えば、自衛隊や救急医療チームが被災地に入るために、それに先んじて交通路の啓開を行うのは我々の役割である。
地方整備局の初動の遅れはそのまま全体の救援の遅れにつながりかねないことを肝に銘じて、我々は迅速に初動の活動を展開し、その責任を果たさねばならない。
出典:国土交通省 東北地方整備局『東日本大震災の実体験に基づく 災害初動期指揮心得』10ページ
(プロ意識に関する過去の記事)
プロ意識とは責任を果たすこと
これこそまさにプロ意識とはなんたるかを示しています。自らの為すべき役割を理解し、責任を持ってそれを為す。「役割を果たさねばならない」「その責任を果たさねばならない」という言葉にプロ意識というものが詰まっています。
プロ意識なんて立派で崇高なものは意識の高い人が持つもの、という印象をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、実のところそこまで立派な意識は必要ありません。
重要なのはその責任をどのような気持ちで果たすかではなく、実際に行動をして、責任を持ってやり遂げるということです。「為すべき務めとして自身に引き受けねばならぬもの」という責任の言葉通り、必要な時に、求められた役割に従って、逃げ出さずに最後までやり遂げること、すなわちどのような気持ちであろうと責任を持って為すべき務めを果たすことこそがプロ意識です。
それこそ気持ちの問題なんてまったく重要ではありません。重要なのは役割の責任を果たすことであり、それ以外のところでどれだけ愚痴ってもいいですし、気持ちが盛り下がったって仕方が無い時もあります。常にピシッとしている必要はありません。
ビジネスマンが商談に向かう前後で愚痴を言っていても商談の場面ではハードな交渉をするように、
飲食店スタッフが休憩室ではだらけていてもそこから出た後はキッチリと職務を遂行するように、
訓練に文句を垂れていてもいざ現場に立てば果敢に火災へ向かっていく消防士のように、
自らの役割として求められていることを、それがたとえどれだけしんどくとも為すことこそが責任感であり、プロ意識です。
それは信念というよりも仮面に近い
つまるところ、プロ意識とは求められている役割という仮面に同化することではなく、必要な時にその仮面を被ることができるかが問われるものです。役者が舞台上で別人の仮面を被るように、求められた時にその役割という仮面を被り、最後まで芝居をやり遂げられるかどうかです。
芝居の途中で素を曝け出す俳優が居たとすれば、それはプロではないでしょう?単純に、そういうことです。
「責任」を果たすという「約束」が生む「信用」
人は一人では生きていけず、私たちの社会は様々な人々のおかげで成り立っています。食材を作ってくれる人がいて、衣服を作ってくれる人がいて、輸送してくれる人がいて、販売してくれる人がいる。顔を見たことも無い誰かが為している仕事があるからこそ私たちは生きています。
そのような相互依存によって成り立っている社会において、何よりも重要なのは「信用」です。社会で生きる誰もが自らの役割を果たすことを皆が「信用」しているからこそ社会は継続できています。それこそ明日はスーパーに物が並ばないかもしれない、明後日には銀行でお金が引き出せないかもしれないとなっては社会を維持することはできません。
そうならないよう、誰もが自らの仕事を為し遂げるという「約束」が社会には存在します。「約束」を守るという「信用」こそが社会を構築している根源です。
そしてその「約束」を果たす根拠となるのが「責任」です。どれだけ「仕事が面倒だ」「仕事したくない」「仕事かったるい」と言おうが、「それでもこの仕事は責任を持って為し遂げる」という責任感・プロ意識が「約束」の履行を担保するものです。自らの「責任」を果たすことが社会における唯一絶対の「約束」であり、それこそが社会を維持しています。
結言
立派な仕事を立派な志でやることがプロ意識ということではなく、求められた役割をしっかりとこなすことこそがプロ意識です。
面倒だって仕方がありません、やりたくないとぼやく気持ちもあるでしょう。熱意なんて欠片も残っていないかもしれません。それでも責任を果たす、仕事を為し遂げる、それこそがプロ意識であり、だからこそ尊い価値を持っています。
(信用と約束に関する詳細な話)