「さすがに泊りで帰省している間に記事を書いている時間なんて無いだろうから、先に1本くらいストック記事を作っておこう」
と思って帰省したのですが、記事のストックがどこにも存在しません。おかしいですね、用意しておこうと思っていたのですけど。気持ちはあったんですけどね。記事は無いですね。
ストック記事が無いということは、恐らく書いていないということだと思います。
夏季休暇中のまったり記事
忙しかったり手が回らなかったというのが事実ではありますが、それはそれとして何かでっち上げてでも記事を書きたい気持ちもあり、困っているところです。毎日投稿の悪いところだと言えます、多少クオリティを妥協してもいいのではないかと考えてしまうのは。
正直に言えば毎日投稿している記事も「でっち上げて」いるのではありますが、とはいえ今回は記事テーマすら考えずに書き始めたせいでいつもよりもさらにフワフワした文章になっています。わたあめくらいのフワフワ加減です。
記事ストックを用意していなかったせいで早朝に早起きして書いているため、書いている私はフワフワどころかシナシナですけども。
とりあえずは帰省に関しての雑談でもしましょう。
このご時世、かつ実家には医療関係者が居ることから、旧交を温めたり外食に出かけたりなどしてウイルス感染経路を増やすことは大変に憚られるところですので、実家に引きこもりの帰省をしています。記事を書く時間も記事に書く内容も無いです。
自己隔離と抗原検査をした上で車での帰省をしていますので、接触者は近親者のみという徹底具合です。それでも帰省先で感染してしまってはそこから移動が出来なくなってしまうので帰省は短期間となります。
今年は行動規制が無いため、帰省する人も多いかと思います。いつまでも行動規制をしていてはどうにも世の中が回らないため、適切な感染対策と処置を行う前提で、今年の行動規制無しというのは良いことでしょう。
「帰省前後で検査をして、安心して家族に会いましょう」という方向性には少し疑問を感じますけども。事前確率が低いので陰性証明にはならないような・・・
重要なのは双方の納得と物事の進展
とはいえ、検査の証明が無ければ田舎に帰りにくいのもまた事実ですので、検査はしました。
ここが常日頃より当ブログで述べている、物事の考え方のポイントです。
ある人は検査をとても重要だと考えており、多くの人に検査をしなければ絶対にいけないと考えている。
ある人は検査の効果に疑いを持っており、有病率の高い人に限って検査をすべきだと思っている。
ここで重要なのは合理性の下に双方の意見をぶつけ合うことではなく、どちらが正しい間違っていると論じることでもなく、どうすればこの対立軸を乗り越えて物事を進めることが出来るかを検討することです。
今回の例として、私の場合は実家が田舎にあるためPCR検査なり抗原検査なりをやらないで他県から帰ろうものなら近隣から村八分にされかねません。そのような場合に「有病率の低い私に検査をしてもあまり意味が無い」という主張をするのは無意味です。それでは双方の理屈がぶつかり合うのみで話が進みません。
今回のような場合であれば「相手が検査を求めているなら抗原検査をしましょう、それで相手は納得してくれることでしょう。ただ抗原キットによる検査は未感染を保証するものではないので、自己隔離もやって発症しないことを確認します」という折衷案を取りました。これで双方が納得して帰省することができます。
つまり、必要なのは「正しいと思うことをすること」ではなく、「皆が納得できる方法を取って物事を前に進めること」です。なにせ「正しいと思うこと」は人それぞれ異なるのですから。