謝罪ができる。それはとても立派なことです。当たり前のことのようですが、それがなかなか出来ない大人も世の中にはたくさんいます。
ですが、あえて言いますが、何でもかんでも謝罪するのは勘弁してください。
今回は間違いと謝罪に関する雑多な話をします。
別に怒ってはいない
私「こんな間違いを見つけましたので、修正お願いします」
担当「ご連絡の件、大変申し訳ございません。直ちに関係各所と協議いたします」
こちらとしては間違いがあったので修正をお願いしただけで、怒ってもいなければ責める気持ちもさらさら無いです。
だから担当者個人にさらっとメールしただけなのに、上司や関係各所を巻き込んで謝罪の返信をされるとリアクションに困るのですよ。なんだかこっちが責めてるみたいな感じになってしまうじゃないですか。
そもそも私は間違いが起きた時に謝罪されるのは好みではありません。欲しいのは謝罪ではなく対策です。
ただ、言い訳を言わせる派からすれば反省や精神的な改善は重要ではありません。失敗や間違いは誰だって起こすものですのでそれに怒っても仕方がありませんし、それよりもどのような心理や行動が過ちに繋がったかを聞き出し、具体的な再発防止策を考えたいのです。
合理的で冷たい表現ですが、なぜその過ちが起きたかも分からないままに謝罪をされても困ります。求めているのは言葉や態度ではなく再発防止策です。
今回見つかった間違いはちょっとした見落としであり、つまりヒューマンエラーです。ヒューマンエラーに対して怒る気持ちなんて持ち合わせていません。ヒューマンエラーは誰だって起こすのですから。
ですので、こう、謝罪を盾に、こちらが他人を攻撃する悪者のような空気を匂わせるのは勘弁してもらえますと・・・それはある種のちょっとした暴力だと思うのですよ。「謝罪はいらないので早急に対応をお願いします」とか返信したらもっとキツイ印象が出てしまいそうですし、実にリアクションに困ります。
ヒューマンエラーの種類と、避け難さ
安全工学の観点からして、人間は必ずヒューマンエラーを起こします。これは必然です。
ヒューマンエラーには大きく分けて3つの種類があります。
ミステイク(認識間違い、誤解)
スリップ(焦りによる間違い、うっかりミス)
ラプス(ど忘れによる抜け、間違い)
このうちミステイクは指導時の誤解であったり教育資料の誤りが原因のため、再教育や訓練によって改善が可能です。
しかしスリップは人手不足や締め切り間際など環境によって引き起こされるものであり、個人がどれだけ注意しても限度があります。
さらにラプスは手順書を読んで作業する段階の初心者では起きない、ベテランになればなるほど発生しやすくなるエラーです。
よく問題が起きた時の報告や改善案などで「今後は気を付けます」という言葉が使われますが、ラプスによるヒューマンエラーだった場合は気を付けようがないものです。なにせラプスは無意識下で発生するのですから、注意喚起のような意識の強化では絶対に防ぐことができません。これを防ぐことができるのは仕組み(システム)だけです。
つまり、ヒューマンエラーに対して怒りを覚えたり責め立てることは根本的に無意味です。ヒューマンエラーは個人の責任として断罪するようなことではありません。
『間違い』と『過ち』
人は間違える生き物です。そして間違いは他人や社会に害を及ぼすため、それを起こした人を罰するような社会システムが存在します。
しかし間違いの内訳は多様であり、様々な種類の間違いを一緒くたにするようなことは避けなければなりません。
つまるところ、言いたいのは『間違い』と『過ち』を区分すべきだということです。
『間違い』とはヒューマンエラーです。焦りやうっかりミス、誤認や誤解といった原因によって為すべきことが為せなかった受動的な行動を意味します。
『過ち』とは意図的な逸脱です。手抜くためにやるべきことをやらなかったり、利益や悪意のためにやるべきでないことをやったりと、為すべきことを為さなかった能動的な行動を意味します。
これらは明確に区分して理解されるべきものだと考えます。
もちろん人や社会に損害を与えたことに対する罰は『間違い』と『過ち』の双方に存在します。交通事故を起こしたとして、それが過重労働による疲労であろうとよそ見運転であろうと、罰の軽重はあれど罰則が適用されるのは社会の正義です。
しかし『過ち』とは違って『間違い』は罪ではありません。『過ち』は避けられるのに対して、『間違い』は人が人である以上避けようがないものだからです。これらを一緒くたにして断罪するのは不適切だと考えます。私たちが断罪すべきは『過ち』のみです。
結言
ヒューマンエラーにも罰は存在しますが、しかし罪ではありません。だからそれに謝罪をされても困ります。