どうにもここ最近はメンタル的な疲労が強いらしく、疲れている時センサーが強く反応を示しています。
疲れている時センサーとは、例えば次のようなものです。
- 洗濯したことを忘れて洗濯物を干し忘れる
- 食事を取り忘れる
- 朝起きる時間が遅くなる
- 財布や鍵など貴重品を忘れて家を出ようとする
- 何かしらに没頭して過度な集中が生じる
- 政治経済など、やたら堅苦しい話をブログでする
- ブログ記事の内容に強い言葉遣いや厳しい視点が入る
今週はこれら全てのセンサーが反応したので、疲労度的にはなかなかです。
そんなわけで、まったりしたことを考えてまったりすることにしましょう。今回は普段の記事のテンプレ構成すら用いず、見出しや段落分けすらせずフリーな感じで書いていきます。まったりです。
さてさて、疲れている時センサーは誰でも持っている優秀なセンサーです。
というよりも生物は様々な定性的・定量的センサーの塊です。目で見て分からない何かしらの変調や不調に真っ先に気付けるのは当然ながら自分以外にはあり得ません。
よく言われる「自分の体のことは自分が一番分かっている」は、分かっているの意味が複数ある点がややこしいのですが、検出の面では間違いなく自分が一番分かっています。ただ、それに対する分析の面では正常性バイアスを避け難いことから、お医者さんや他人のほうがより問題を認識しやすいものです。
つまり自分では変調や不調が生じていることをセンサーによって検出できているものの、それを素直に受け止める脳の側が問題の発見を拒絶してしまいがちなのが人間というものであり、「自分の体のことは自分が一番分かっている」と言っても、体が分かっていても頭が分かっているとは限らないものです。なんともややこしい話です。
とはいえ変調や不調を検出できているのですから、思考を柔軟にすれば受け入れることも可能なはずです。
正常性バイアスの枷を外す方法は人それぞれあるでしょうが、個人的には冒頭で述べたような感覚器官の外部化によって自然体で受け入れるようにしています。
「体が重いな、少し疲れているのかな」
「喉が今一つで、少し調子がおかしいな」
そういった『思考による認識』はもう絶対にバイアスが生じてしまいますので、その部分の前段階を自らの思考から排除して外部信号として再構築しています。
その一つが疲れている時センサーです。ネーミングセンスはさておき。
センサーの閾値として所定条件を設定しておき、そのセンサーが反応を示したら思考をショートカットして結論に至るようにしています。
「あ、そういえば夕飯を食べ忘れた、じゃあこれは疲れている証拠だ!」
と、直結です。
もちろんトリガーは人それぞれ異なりますので個別に閾値と条件を設定する必要はありますが、上手く設定すれば確実に変化点を検出可能になりますので、ほどほどにおすすめです。
なお、これは疲れている時に限らず、様々なことに応用できます。
例えば何かしらの文章を見ていて「この人のこの発言は少し同意できないな」と感じた場合は、「この人」と思考した時点でトリガーが発動するようにしています。それは別の人が言えば納得できるのか、この人の別の発言には同意できるところがあるのか、そうやって比較検討プログラムを自動起動することで、党派性や色眼鏡を少しばかりでも軽減することが可能です。
思考や感覚を個別要素として分離し、フローを設定して起動し、入出力を自動的に処理する。
この辺りのアルゴリズミックな発想は機械屋的なのか、それともただの変人なのか、それはなんとも言えないところです。