忘れん坊の外部記憶域

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移民を受け入れるためには運動家よりも実務家の力が必要

 日本は先進国の中でも最先端を行く人口減少社会であり、数十年も経てば劇的な人口動態圧力も変化して落ち着きを取り戻すことが推定されていますが、それまでの過渡期には何かしらの対策を実行しなければ社会の安定を維持することは難しいでしょう。

 そのため、不足する労働力を移民の力によって解決することは機械化や自動化と並行して実施可能な一つの選択肢として手札にあるべきだと考えています。よって過去にもこのブログでは何度か述べてきていますが私は移民反対ではありません。

 

 ただ、現状の日本社会はそれが実施できる状態にないと考えるため、ドラスティックに移民を受け入れることには反対です。

 

準備は必要不可欠

 国家がある程度以上の規模の移民を受け入れるためには受け入れ態勢の準備が不可欠です。それを怠ると必ず社会的な混乱を招くことになります。

 まず、移民を受け入れるためには多大なイニシャルコストを掛ける必要があります。それは例えば文化的規範の明文化、適切な教育環境や労働環境の整備、必要な輸出入ラインの完備や監督官庁の設定、各種法整備、世論の醸成などです。

 普段運動をしない人がマラソンランナーに付いていこうと並走しても無理なように、「他の先進国はやっているから」と何も考えずに同道することは無理筋です。まずは他国が長年かけてやってきたことと同様に下準備が必要となります。

 こういった準備をせずに受け入れられるのは法にも社会にも保護されない低コストの単純労働者としてのみです。それは移民ではなく、形式を変えただけの奴隷に他なりません

 国家は若年者に多大な投資をして国民を育てていますが、同様に移民にも投資をする仕組みは不可欠です。そうでなければ国民として受け入れようがありません。よってドラスティックに移民を受け入れる前に、まずは予算を取って様々な準備をする必要があります。

 

 次に、適度な統合政策は必須です。

 統合政策と言うと類似の概念に同化政策があるため良い印象を持ちにくいかもしれませんが、統合と同化は別物です。日本の文化をまったく変えずに移民へ押し付けることが同化政策で、日本の文化と移民の文化を融合して一つの社会内に包含できるよう双方向に変容することが統合政策です。

 同化政策は倫理的に適切ではありませんが、適度な統合政策は必要不可欠だと言えます。移民を受け入れるどの国でも実施していることであり、これは移民に対する文化的差別ではなく、必要だからお金を掛けてでもやらなければならないことです。

 まず前提として、異文化集団が同一社会で暮らすことはとても難しいことへの認識が必要です。なぜ古代から世界に国境があるかと言えば、それはとても単純に『一緒に住めないくらい文化的な差異があった』ためです。だからこそ人々は余計な争いを生まないよう住み分けてきました。グローバルな価値観を持つ人であれば国境を人工的な障害と捉えがちですが、これは無視できる小さなものでは決してありません。むしろ争いを避けるための偉大な先人の知恵だと捉えるべきです。この視点を持たずに安易な気持ちで移民を受け入れると国内に新たな国境を作ることになりかねませんし、外国人街やスラムはそうやって生まれます。

 ただ、だからといって文化の全てを押し付ける同化政策を行うことも不適切です。前述したように少数派への配慮が無い同化政策は不満の温床となり社会の混乱や内乱へ至ることは明白であり、必然的に移民は少数派とならざるを得ない以上その点への配慮は不可欠です。

 よってどの程度までは統合できるかのライン、もっと言えば移民をどう変えるかよりもどこまで私たちの社会を変えるかが優先的に議論・言語化される必要があります。

 

弥縫策は許されない

 「まずは受け入れてから変えていけばいい」とする意見があるかもしれませんが、受け入れてから変革するのでは間に合いません。すでに少なくない数の移民が日本に来ていますが、軋轢はすでに生じつつあります。規模を先に拡大してしまってはこれらの軋轢をさらに悪化させるだけです。

 よって完全ではないまでも、まずは同化する文化的下地を先に準備しなければなりません。

 

 これは移民に限らず何事もそうですが、予算を取って態勢を整えることが先にあるべきです。変革には時間とお金が必要であり、時間もお金も無い状態で無理にやろうとしても物事はまず大抵の場合で失敗します。時間とお金は結果を左右する決定的な要素であり、軽んじてはいけません。

 来る人にせよ受け入れる人にせよ、移民は多くの人々の人生に関わる問題です。それを何も考えず弥縫策的に「まずはやってみよう」と動くのは、失礼ながらあまりにも人情に欠けていると言わざるを得ません。

 

 また、下準備を怠って世論の醸成に失敗し、移民によって軋轢が生じてしまうと人々の間で不安感が生じます。この不安感を侮ってはいけず、適切に対処を取らないとゼノフォビア的な極右政権が伸張してしまうことになりかねません。それは統合政策に失敗した一部の欧州国家ですでに顕現している事態であり、日本が同じ轍を踏まないとは断定できないでしょう。

 

 変革にはドラスティックなイメージが付きまとうものですが、現実にはお金と時間を使った下準備がとても大切です。高く飛び続けるためには瞬発的なエネルギーによって射出するのではなく、エンジンと翼を事前に用意する必要があります。

 

結言

 移民自体は時代の潮流です。拒絶することは難しく、鎖国だって現実的ではありません。よって受け入れていく必要があることは概ね同意を得やすいかと思います。

 ただ、それを煽って性急に進めるのではなく、ちゃんと足場を固めて堅実に進めていく実務家的な視点が必要です。これは人々の人生が掛かった問題であり、軽佻浮薄な態度や意思で安易に進めるようなことではありません。