忘れん坊の外部記憶域

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マクロな視点の"分析"と"利用"の違い

 私はマクロの視点で現状を分析することと、それをミクロに利用することは別だと思っています。

 

マクロな分析の功罪

 人種や性別など人々の属性や性質で層別してマクロな視点で現状分析すること自体を忌避する方もいらっしゃいます。

 例えば「統計的に男性(女性)はこういう傾向を持っている」「平均してこの人種はああいう傾向を示している」とする分析それそのものが問題だと考える方です。

 たしかにこのような分析は悪用されれば統計的差別の入口になりかねないものではあります。このような差異の分析が女性差別や人種差別の温床になったとさえ言ってもいいでしょうし、各種のステレオタイプ的差別を助長していると言えそうです。

 ただ、現状分析が適切に為されないと現在の差別や不利益を正しく認識することができなくなってしまいます。人種差別や男女不平等といった現代社会で解消すべきとされている各種問題は、それこそマクロな視点での分析によって人々に認識されたからこそ解消することを指向できているのであって、分析自体は手掛かりとして必要です。

 

 つまりマクロな現状分析は刃物や火と同じようなものです。

 適切に用いれば課題を浮き彫りにする効果があり、不適切な用い方をすればいくらでも悪用できる道具です。刃物や火を危ないからと全面的に禁じることは不合理であるのと同様に、マクロな分析もそれ自体を禁じるのではなく分析結果の不適切な取り扱いを禁じるべきだと考えています。

 

何が不適切か

 マクロな分析の不適切な取り扱いとは、一つは前述した統計的差別、もう一つはミクロへの適用です。

 前者の極端な事例は過去の黒人奴隷を代表とした「黒人は統計的に白人よりも知能が劣る」などといったマクロな分析の悪用です。マクロな分析は現時点での差異を示しているだけであり、それが何故生じているかを説明するには別の根拠が必要です。その差が生じているのは人種が原因とは特定できず、ただ地域によって異なる教育水準の違いかもしれませんし、教育手法の違いかもしれません。そういった根拠を集めずにマクロな視点での差異のデータを”不変の事実”のように取り扱うことは誤りとなります。

 凄く分かりやすいたとえ話をすれば、「男女で平均賃金を比べれば男性の方が高い、これは女性よりも男性が優れているからだ」なんて意見、「論拠がねえぞアホか」と一蹴されるでしょう。しかしデータ自体は収集しなければ差異を認識することすらできません。

 

 後者の極端な事例は「黒人は統計的に白人よりも知能が劣る」といった分析がもしもあったとして、それを「貴方は黒人だから知能が劣っている」とミクロな個人に直接適用することです。

 人には必ず個人差があり、それらを収集したデータには必ずばらつきが生じます。よって平均値や中央値で個人を取り扱うとほぼ必ずズレが起こります。率直に言えば間違えます。マクロな分析結果をミクロな個人に直接適用することは大抵の場合で誤謬を生み出しますので避けるべきです。

 

結言

 つまるところ、例えば男女の話であれば「男性はこういう傾向を持っている」「女性はこういう傾向を持っている」と差異を分析することは問題ないと考えています。それは現状の認識として有用です。その分析まで否定してしまっては、嫌味な事例ではありますが「女性は男性よりも平均賃金が低い」ことを問題視することすらできなくなってしまいます。

 しかし性別による傾向があったとしてもそうではない男性・女性がいるのも当然であり、「男性の貴方はこうだ」「女性の貴方はこうだ」とマクロな分析をミクロな個人に直接適用することは不適切です。

 同時に「男性はこういう傾向を持っているからこうだ」「女性はこういう傾向を持っているからこうだ」とマクロな分析を”不変の事実”のように取り扱うことも誤りです。現時点での差異の分析は何故その差が生まれているかを説明する根拠足り得ません。それは生得的なものもあれば社会的なものである場合もありますので、現実に直接適用していい類のものではないと考えます。

 

 前述したように、マクロな分析は刃物や火のように取り扱いの難しいものです。有益ですが悪用が可能ですので、慎重かつ繊細に取り扱う必要があります。