同期が入院した。
・・・と書き出すとなんだか重苦しい雰囲気になるような感じではありますが、まあ大したことではないです。下半身の手術のためにちょっと入院しただけで、急な事態や事故などではありません。予定した通りに入院して予定した通りに加療が行われたそうです。
下半身の病気と言うとなんだかやましい聞こえがあるかもしれませんが、なんともあまり人様に話すような部位ではないと言いますか、いやこの言い分もまたなんだかやましい感じがするのでアレではありますが、デスクワーカーが恐れる病気の一つ、長時間座ったままの姿勢で仕事をする人がなりやすい病気が悪化した結果です。
いや、どこが病気になったかはどうでもいい話です。
今回は保守・維持・メンテの話をします。
人間って凄い
人は30代になると身体にガタが出始めると言われています。
各種メンテナンス技術や代替技術が発展したとはいえ人間の耐用年数はそこまで長いものではないので、ガタがくるのも仕方がないことではあるのでしょう。特に平均寿命が延びた現代では如何に耐用年数を伸ばすかが人類の大きな課題だと言えます。
とはいえ私のような機械屋からすれば、そもそも80年くらい動き続けるだけでも人体とは凄いものだと思うばかりです。もちろん人間だってメンテナンスが必要とはいえ、機械はどれだけメンテナンスをしていても『テセウスの船』ばりにあっちゃこっちゃのパーツを交換しなければ壊れてしまいますので、そこまでしなくとも存在と生命を保てる生物とはなんとも素晴らしい機構と機能を持っているのだと感じます。
目線が完全にマッドサイエンティスト風ではありますが。
メンテナンスの重要性
残念ながら、現場で現実に接していない立場であるほど人はメンテナンスの重要性を理解できなくなります。
たしかにメンテナンスはランニングコストです。支払ったとしても目に見えて何かが良くなる効果はありませんし、売り上げや利益が伸びるわけでもありません。費用対効果の数字だけを見れば可能な限り削減したいコストに見えることでしょう。
ただ、人間だろうと機械だろうと変わらず、状態を保つためにはメンテナンスが不可欠です。というよりもメンテナンス(maintenance)自体が「状態や状況を継続させる行為」を指している言葉です。
熱力学第二法則に従ってエントロピーは増大するのであって、メンテナンス無しに放っておけば良くなっていく物事なんてそうそうありません。心は時間が癒してくれるかもしれませんが、体や装置は時間が経てば経つほど劣化していく一方です。
つまりメンテナンスに掛かるコストは現状得られている利得を確保し続けるために必要な経費であり、それを削ったり出し渋ったりすることは現状得られている利得を失うリスクがあります。人であれば病気や不調による健康の喪失、機械であれば故障や不具合による事故や損失などです。それは誰だって避けたいはずなのに、メンテナンスを軽視する人がいるのは残念なことです。
サブスク
見方を変えれば、メンテナンスとはつまりサブスクです。それを支払わなければサービスを継続できないと考えれば、メンテナンスにコストを掛けることの妥当性はより分かりやすくなるでしょう。
実際、メンテナンスの安易な削減は健康の喪失や大事故によるビジネス基盤の崩壊につながるのですから、まさしくサブスク的です。
メンテナンスコストを削減して得られるのは、それこそ動画配信サービスの「支払い後に解約したのでまだサービスを受けられる1か月」程度の利益であり、その後に全てが得られなくなることを考えれば動画配信サービスならまだしも自身の健康やビジネスでそんなことをしようとは思わなくなるでしょう。
結言
人には認知バイアスがありますので、健康や無事故など恒常的に得られている利得を認識しにくく、そういったものは失うまでなかなか気付けないものです。
ただ、それはメンテナンスにコストを支払うことで得られているものであり、タダではありません。支払いを怠っては利得が得られなくなるサブスクであり、決して軽んじて安易に削減していいものではないでしょう。
後日談
私「手術、痛かった?」
同期「イカレてる、マジで。絶対手術になる前に治したほうがいい。座れもしない。体のどこに力を入れても痛い」
思ったよりも深刻な気配を感じます。
やっぱり大掛かりなオーバーホールが必要になる前に、少しでも不調が生じたらメンテナンスを行ったほうがよさそうです。