忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

精神的な余裕の在庫を確認すること

 

 個人的なメンタルの管理について語っていくだけの記事。

 

信念とは個人の内面にだけ依拠するものではない

 人間は精神的な余裕が損耗しているとどうにも攻撃的な気持ちが芽を出してくるものです。「ニュースを見て独り言ちつつ不寛容にいちいち半畳を入れるような大人」はそうやってこの世に現出します。

 ”寛容”はリベラリズムの骨子ですが、そのリベラリズムの思想が富裕層や被扶養者の若者に流行するのも必然だということです。日常や仕事に手一杯であれば誰しも保守的になるように、思想信条は大抵の場合で本人の精神よりも周囲の環境が生み出します。

 率直に言えば、”寛容”とは"余裕"の言い換えに他なりません。余裕の有無を争ったとしても、それは個人でどうこうするには限度があることです。よって個人的にですが保守・革新のイデオロギー論争なんてあまり意味が無いとまで思っています。

 

 とはいえ状況との折り合いをどう付けるか、そして余裕の在庫をどれだけ持てるかは個人の努力に依るところもあります。全てを環境の責任にできるほど他責的になれればあるいは気が楽かもしれませんが、それは私の好みではありません。精神的な余裕はなんとか貯蓄しておきたいものです。

 

精神的な余裕の在庫確認

 そんなわけで、精神的な余裕の在庫を確認する何らかの尺度を私はいくつか用意しています。以前にも疲労度合いを機械的に認識している話を書きましたが、その続きのようなものです。

 

 尺度の一つはまさしくこのブログの記事です。公開した記事が批判的・あるいは攻撃的な場合は精神が疲労していることを認識できます。

 そもそも私は全ての記事を一晩以上寝かした後に公開するようにしているので、翌日以降に読み返してあまりに攻撃的な内容であった場合は公開せずに削除しています。過激な文章を好む人もいらっしゃるとは思いますが、こればかりは個人的な好みです。そんなわけで、公開済みの記事が攻撃的であった場合は「何日も心に余裕がない」対処すべき事態であると認識することが可能です。

 

オピニオン記事

 もう一つは、Yahooニュースなどでオピニオン記事を見ることです。

 普段はあまりYahooニュースを見ていませんが、時にはあえて時間を取って様々な配信元のオピニオン記事を読み込みます。

 正直に言って、オピニオン記事は玉石混淆です。事実に基づいた鋭い指摘をする記事もあれば、結論ありきでデータを切り貼りしたり事実に基づかない推論で論理を構築している無価値な記事もあります。

 もちろん発表報道のキュレーションサイトとしての価値は充分にあると思っていますのでYahooニュースの存在を否定するわけではないのですが、オピニオン記事は多少懐疑的な視点が必要です。

 

 そんな玉石の石をあえて読むと、自身の精神的な余裕の有無が顕著に見て取れます。

 余裕がない時の私は見事なまでに「ニュースを見て独り言ちつつ不寛容にいちいち半畳を入れるような大人」となるためです。

「なんだこの記事、結論ありきで論理を展開している割に主題に対して論証がズレてるし、論拠となるデータも提示していない、何の意味があるんだ」

と考え出したら黄信号です。そこからさらにブログで批判記事を書こうと思い始めたら赤信号です。

 なにせ、たとえそのオピニオン記事がどれだけ無意味な記事だとしても、それを批判したり攻撃する必要はありません。個人の見解を否定するのは”寛容”のすることではないのですから、放っておけばいいだけの話です。批判したい・攻撃したいと思う感情が沸き起こるのは、まさにそのための余裕が不足していることを顕著に示していると言えます。

 つまり「他者のオピニオン記事」を読んで苛立ちを感じることは私にとって精神的な余裕が損なわれている状態だと認識することができます。実に便利な検査方法です。

 

結言

 メタ認知的に「怒り」や「焦り」など自分の感情を直接捕捉することができれば一番確実ではありますが、それはなかなか難しいことです。必ずしも常にできることではありません。

 そのため、「こういう時はこうなっている」と認識できるような、何かしらの間接的指標を持っていると楽ができます。雑な例示をすれば「物凄い転職したくなる衝動を感じたらストレスを過剰に感じている証拠だ」とかです。

 そんな感じで色々トリガーを設定して自覚的に管理しておくと、間接的なメタ認知の役に立ちます。

 

 

余談

 いや、まあ、これだけ言って特定のオピニオン記事を取り上げるのもなんなのですが、突っ込みどころが多いとどうにも気になってしょうがないので・・・

いまや世界の「負け組」に 日本の競争力を低下させた「日本人の数学嫌い」を変えるには(芳沢 光雄) | +αオンライン | 講談社(1/6)

 IMD(国際経営開発研究所)の「世界競争力年鑑」での順位が下がっている点をもって「世界の負け組」と評するのは別に良いと思うのですが、それと「日本人の数学嫌い」は関係ないです

 だって世界競争力年鑑を測定する項目で数学力を直接比較する項目はありませんし、そもそも日本人の教育水準や熟練労働者は高く評価されています。日本の順位を落としているのは「政府効率性」と「ビジネス効率性」で、特に財政税制経営者の質が原因です。

IMD「世界競争力年鑑」2023年版からみる日本の競争力 第1回:データ解説編総合順位は35位 過去最低を更新 | IMD「世界競争力年鑑」からみる日本の競争力 | 三菱総合研究所(MRI)

 

 「数学嫌いをなんとかしたい」が記事の主題でありそれにはとても賛同するのですが、結論ありきでの論理立ての割に論拠が間違えている記事を読むと、大人げないツッコミを入れたくなるのです。