忘れん坊の外部記憶域

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好奇心の種類と価値、好奇心の持ち方

好奇心の種類

 漫画家福本伸行さんの『天』においてとても印象的な会話があったことをよく覚えています。

「街にバカどもがあふれている――」

「……あいつらときたら……頭悪いのに健康だけは気をつけているんだ」

「わかっちゃいねえよ…無能な奴が体元気になってもたいくつするだけだろ……救えねえよ……」

「オレも同じさ。最近なにをやってもたいくつだ…才能のない証拠。天才はたいくつなんてしないからな」

ニュートンとかガリレオは、たいくつなんてしないさ…。あいつら引力なんていう目に見えないものまで見えて……この大地が高速でまわっていることにさえ気がついてしまう……」

「つくづくこの世は凡人で生きていてもしょうがねえ。俺なんか何見たってあたりまえに見えるだけだ…なんにも気がつかねえ……」

 天才は退屈しない、非常に面白い意見です。同意するかは人それぞれとして、私としては少し異なる意見です。天才かどうかは問わず、好奇心旺盛な人間は退屈しないと考えています。もちろん好奇心の大小は才能なのかもしれませんので、その場合は同じ意見ということになるでしょう。

 退屈とは好奇心(興味)を持てる刺激が得られない状態で、その状態を維持することを求められた状態を示します。飽きが来て、それでもその状態を継続しなければいけないときに訪れる苦痛を伴う状態です。つまり好奇心(興味)を常に感受していれば退屈などはしないということです。

 また好奇心については多くの方が研究されています。少し古いですが、心理学者のD.E.バーラインによる分類では2つのタイプがあるとされます。

 ◆拡散的好奇心(色々なことを知りたいという、横に広がる欲求)

 ◆特殊的好奇心(知識と理解を深めたいという、縦に伸びる欲求) 

 拡散的好奇心とは子どもが持つような、知らないことを知りたいという欲求です。子どもは大人に比べて拡散的好奇心が旺盛です。何せ大人よりも見知ったモノが少なく、世の中は知らないことに満ちているからです。対して特殊的好奇心は横では無く縦に伸びる深掘りの欲求です。

 

 分かりやすく例を出しましょう。なぜ空は青いのか?と興味を持つのは拡散的好奇心です。虹を見ると分かるように光には波の性質と分光スペクトルがあって、青い光は波長が短く散乱しやすいからよく見えているので空は青いんだ、と最初に得た興味の内容を理解することまでが拡散的好奇心です。さらにその先、なぜ波の性質を持つと散乱が起きるのか、空気中での光の散乱をレイリー散乱と呼ぶのはなぜか、もっと波長の短いはずの紫が見えない理由はなにか、夕方はなぜ青ではなくて波長の長い赤なのか、と知識や理解を掘り下げていくのが特殊的好奇心です。

 拡散的好奇心は方々に関心が飛んでいきますので一見退屈しないように思えますが、興味の持続力に乏しいため関心はすぐに失われてしまいます。何もすることが無い時に子どもが退屈するのもこの持続力の無さが理由です。外部からの刺激を感受しないと拡散的好奇心は有効に働きません。

 対して特殊的好奇心は感受するのが難しい代わりに人間の内的な部分からの欲求によるものなので、持続力が高いものです。福本さんの例でいえばニュートンは「なぜリンゴは木から落ちるのか」という拡散的好奇心を持った後、特殊的好奇心に従いずっと「なぜ」の理由を考え続けていたからこそ退屈しないわけです。

ニュートンのリンゴの逸話は創作・伝説とも言われています。

ニュートンが歴史上において特に偉大とされているのはリンゴが落ちる理由を見つけたからではなく、リンゴが落ちる理由を一般化/体系化して、さらに微分積分法を作って算術的に解けるようにしたことで万物に応用できる力学的な法則へと昇華したからです。我々が高等教育までで学ぶ力学はニュートン力学と呼ばれており、つまりは学生の敵かもしれませんが、今までは神様の世界と思われていた宇宙の運動法則すら理解できるようになったこと、すなわち「神の領域」に手が届くようになったことからニュートンは偉大なのです。

 

好奇心の大小による教養の差

 さて好奇心について脱線しつつ書いてきましたが、そもそも好奇心とは必要なものでしょうか。別に様々なことを知らなくても仕事はできますし、生きていくこともできます。「Ignorance is bliss.」(無知は至福である)や「知らぬが仏」などのことわざがあるように、無知であることが幸福を招くことも確かにあるでしょう。

 しかし好奇心という起点が無い人間は学ぶことができません。無知である幸福を甘受できるかもしれませんが、「知る」喜びを得ることができません。その喜びを知らない人間はあまり勉強しない人間となってしまいますが、学びを良しとしない人間が良い人間になれるかというと私はそうは思えないのです。

 太宰治の「正義と微笑」より、黒田先生の言葉を引用してみましょう。

”勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!”

 カルチュア、日本語にすると教養と訳されるものでしょうが、つまり学ぶことの目的とは、好奇心を強く持ち、それによって「知る」喜びを得ることで、知識を増やすだけに留めるのではなく、品性と人格を高めることによってより良い人間になるために行われるものなのです。

 

好奇心を持つには

 拡散的好奇心は特殊的好奇心への入口です。なにはともあれまずは興味を持つための刺激を甘受しないと探求は始まりません。

 人はどのようにして拡散的好奇心を抱くのでしょう。カーネギーメロン大学行動経済学者ジョージ・ローウェンスタイン教授によれば、人の好奇心や情報の探求心が生まれるには「情報ギャップ・情報の空白」を感じることが不可欠とのことです。つまり、初めに探求する心があってそこから情報を集めるのではなく、情報が欠けているという認知があって初めてその隙間を埋めたいという拡散的好奇心が発動するということです。人はまったく知らないことには興味が惹かれませんが、少し知っていることについては興味が惹かれるようにできています。

 「モザンビークのカオラ・バッサにはダムがある」

と聞いても、何も知らなければ「ふーん」で終わりです。しかし、

 「モザンビークの西部にあるテオ州の人口湖であるカオラ・バッサはアフリカで4番目に大きい人口湖であり、そこにあるダムではザンベジ川からの水を溜めて水力発電をしている。ザンベジ川ザンビアジンバブエの国境にもなっており、途中にはアフリカ最大の人口湖であるカリバ湖がある。」

という内容であれば、ジンバブエって聞いたことがある国だな、くらいの興味は惹くのではないでしょうか。

 

 ここで情報ギャップによる差が発生します。

 ダムの知識がある人であればカオラ・バッサダムの方式についての知識を得ようとしますし、都市インフラに興味があれば発電量や供給先を調べようと考えます。経済を知っていればジンバブエハイパーインフレについてさらに情報を得られるでしょうし、地理が分かればアフリカのどの地域の話なのかも理解できます。それこそ神話や妖怪に興味がある人であればザンベジ川にはニャミニャミという面白い名前の蛇神が居ることまで辿り着けるでしょう。ニャミニャミはトンガ族の神様で、トンガ族はザンビアモザンビークに主に居住する民族ですが、カリバ湖を作る際に大規模な移住を余儀なくされた、と先ほどの文章に繋がった情報が手に入ることもあります。

 つまり、そもそもの知識量、外部からの刺激を受けるアンテナを持っていないと拡散性好奇心は発揮されません。このアンテナこそが「情報の空白」なのです。アンテナが無ければ「さっき名前の挙がったカーネギーメロン大学って面白い名前だな」で終わってしまいます。カーネギーメロン大学が芸術と工学に強いアメリカの大学で、AI研究についてはマサチューセッツ工科大学に並ぶ世界最先端の大学であり、著名な認知科学者である苫米地英人はこの大学のCylabフェローである、という情報は前提知識が無ければ好奇心が働かず入手できない情報なのです。

 よって、拡散的好奇心を高めるためにはとにかく前提となる知識量を増やして、「情報の空白」を増やすしかありません。義務教育で将来役に立たない可能性が高い多数の科目を学習するのはこれが目的の一つです。

 

 しかしながら、この先の特殊的好奇心については少し話が変わります。拡散的好奇心は「情報の空白」というアンテナが外部信号を受信して好奇心を働かせます、つまり外部要因で起動します。対して特殊的好奇心は外部からの刺激ではなく内的なものですので、どうしても自発的に働かせなければいけません。

 動機付けには色々な方法や手法がありますが、個人的に分かりやすい分類を説明しましょう。古代ギリシアの歴史家トゥキュディデスの定義した「戦争の原因となる3要素」、恐怖(Fear)名誉(Honor)利益(Benefit)です。これは国家間だけでなく集団や個人にも適用できる分かりやすい分類です。

 人間の活動は原因を掘り下げていけばこの3つのどれかに当てはまります。自分はどの要素が最も大切だと思うかを考えて、その要素を刺激することで特殊的好奇心の原動力にすることができます。

 ただし、この3要素のうち恐怖だけは外部要因に依存します。すなわち怒る人や集団が居なければ恐怖を感じることは無いため、動機の推進力とするには継続性に欠けます。できれば名誉や利益といった自己完結型のものを優先したほうがよいでしょう。