忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「正義」と「ヒーロー」の共存は難しい

 オリンピック関連のニュースについては実のところそこまで興味が無かったため流し読み程度だったのですが、今回のオリンピックでは多くの辞任・撤回があるように感じます。過去のオリンピックと比較できる統計データが無いため感想程度の話ではありますが、大会エンブレムの盗作疑惑による撤回、組織委員会会長の辞任、開会式の統括の辞任などがありました。今話題になっているのは楽曲担当者の辞任です。

 もちろん辞任や撤回に至った方には落ち度が明確にあります。今騒がれている楽曲担当者の方の行っていたイジメは擁護のしようもなく明確に悪行と言えるでしょう。禊・贖罪もせずに表舞台に出るとは何事だ、という世間の声に同意します。

  ただこの手のニュース・情勢・炎上を見る度に考えるのは、「正義」と「ヒーロー」の共存は難しいものだということです。

「正義」と「ヒーロー」は別物

  善悪やモラル、正義については過去にも少し記事を書いています。

 正義とは定義が難しい概念ですが、基本的には不公平を正す行いであり善なる側にある概念です。不公平を正しい状態(Just、ぴったり公平な状態)にするからJusticeと言います。

 ヒーローとは普通の人よりも優れた力や技術を持ち、誰かを救い、悪役を打ち倒す英雄的な存在を示します。しかし、ヒーローは悪と敵対する概念ではありますが、実のところヒーロー自体が善・正義である必要はありません。もちろん物語としては模範的人物であることが教育上望ましい場合が多いのですが、ダークヒーローという分類があるように、社会に仇なす悪人を成敗するような英雄的行動をするのであれば、それを実行する英雄がどのような性質であろうとそれは「ヒーロー」と呼ばれます。「正義のヒーロー」という言葉がありますが、それは「正義」と「ヒーロー」は必ずしも共存するわけではないということを含意しているわけです。

その行いは正義?それともヒーロー?

 前述したように悪を打ち倒すのがヒーローです。よって過去に苛烈なイジメをしていた楽曲担当者を攻撃して打ち倒すことは英雄的行いであり、それを行う人々はヒーローと呼ばれるべき存在でしょう。ただ、しかしながら多数で一人に石を投げるような行いが善・正義であるかと言われるとどうしても考えてしまうところがあります。構図としてはイジメとまったく同じだからです。

 もちろん悪人を打ち倒すことは社会にとって有益であることに間違いはありませんし、英雄的行いは称賛こそされ非難される謂れは無いでしょう。しかしそれが本当に不公平を正す行いに繋がるのか、正義(Justice)であるか、ということは時々でいいので問い質されるべきではないかと考えます。また、イジメをするような悪人を打ち倒すヒーローも必要ではありますが、イジメによって損失を受けた人々に補填をすること、損失を与えた人間に損失を与えるのではなく損失を被った人に補填する行い、つまり不公平を正す正義も世の中には必要であり、そのような立派な活動をされている方々もヒーローと同様にもっと称賛されるべきです。

個人的な結論

 つらつらと装飾していますがつまるところ、私は悪人を擁護したいのではなく、ヒーローがやりすぎではないだろうかと言いたいのだと思います。寄って集って棒で叩くが如きやり方が好みではないというだけなのです。

 善であることを望みつつもその行いが善であるかを疑い自らでは悪人を打ち倒さない、これをまさに偽善と呼ぶのでしょう。偽善者である自らをどうすべきかも決まらず、一緒に悪人を叩くべきかヒーローを戒めるべきかすらも定まらない。ただ傍観者として善を成さずにいる。この手のニュースを見る度に自らに対して蟠りが募るばかりです。