忘れん坊の外部記憶域

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環境問題で語られるべき国民負担について

民主主義における意思決定と情報の非対称性

 民主主義国家において物事を決定する際に必要なのは合意、つまるところ皆が納得して決める必要があります。完全な合意を得るのは現実的ではないため、仕方がないこととはいえ多数決によって決まることになりますが、少なくとも何らかを変更することに納得する人が多数派でなければ物事を変更する決定は進みません。

 しかしながらその決定が正しく行えるかどうかはどれだけ有権者が情報を持っているかに依存します。例えば表面上は清廉潔白でも裏ではもの凄い極悪人の政治家が居たとして、その裏の顔が一切報道されなければ有権者はその政治家を回避して投票行動を取ることが出来ません。

 そのためには情報の非対称性は可能な限り解消されなければならず、その仕事をするのが正しいジャーナリズムと言えるでしょう。

環境問題における情報の非対称性

 以前も記事にしたように、環境問題は科学的な意思決定ではなく政治的なものです。 

 「現在の我々の活動は環境に大きな負荷を与えており持続性が無い」までが科学的な事実です。ではそれをどう打開するか、そもそも打開するのか、という決定は集団における政治的な意思決定となります。

 この意思決定のために必要なのは「方法の種類」「方法に掛かる費用」「実施による効果と副作用」といったものです。これらが充分に開示されなければ人々は適切な意思決定を行うことができません。

 ところが、残念ながら環境問題に関しては「とにかく実施する」という論調が先行してしまっており意思決定に必要な情報が適切に提供されていません。例えば現行の施策を進めた場合に10年後には電気代がどのくらい上昇するか、その施策は将来的にどの程度持続性が高まるのか、というようなことです。それを国民が許容するかどうかの合意を取らないで進めるのは大変に問題だと危惧しております。

資源エネルギー庁の審議会資料

 情報の一例として、資源エネルギー庁の資料からいくつか読み解いてみましょう。

https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/denryoku_gas/saisei_kano/pdf/025_01_00.pdf

 平地当たりの再エネ発電量で見ると日本はすでに世界最大です。これはイギリスやドイツのような主要先進国よりも日本のほうが平地での再エネ開発が進んでいるということです。日本でこれ以上開発を進めるには山々を切り開いたり海岸線に敷き詰めたりというようなところへ導入せざるを得ません。それは当然ながら高い環境負荷をもたらしますし、非効率であることから費用面でも莫大な負担を与えます。再エネの費用は年々低減していますが、日本では適地がもうあまり残っていないことから今後の再エネ導入費用は上昇する可能性が資源エネルギー庁によって示唆されています。パネルや発電機自体の価格は低減していっていますが工事費が下がっていないためです。工事が容易な平地以外にも再エネ施設を立てていく場合、工事費は材料費とは反対に上昇していくことでしょう。

 再エネ導入を進めるためのFIT制度においては、策定時に到達すると思われていた買取総額へすでに到達しており、今後もさらに買取費用は膨らむことから想定よりも国民負担が大きくなることが分かっています。具体的にいくらまで国民負担が膨張し、それを国民が許容するかどうかは議論されなければいけません。

 温室効果ガスを排出しているうちの8割はエネルギー分野です。策定されている対策を進める場合エネルギーコストは上がっていく方向となりますが、トヨタの社長が言うようにエネルギーコストが上がると日本でものづくりをするのが難しくなり、企業は電気が安い国に工場を立てるようになります。以前から課題となっている産業の空洞化がさらに進むことは就職先が減る若者にとって悲劇となるでしょう。

 再エネには系統制約の問題もあります。再エネは自然条件によって発電量が変動するため需給を一致させる調整を行う必要がありますが、そのために再エネ比率が高まると最大効率で発電することができなくなり収益性が悪化する可能性があります。また再エネのポテンシャルが高い地域は需要が多い東京等から離れており、送電容量の拡大に投資が必要です。再エネには慣性力や同期化力が無いため停電リスクが高まりますが、それを解決する技術はまだ開発されていません。

結論

 再エネに関する課題を多く取り上げましたが、とにかく導入に反対だ!という立場を取るつもりはありません。ただ再エネ比率を高くすることを目標とするのではなく、日本にとって最適なエネルギー政策を希望するのみです。どのような方法で、どの程度の負担があり、将来的にどのような未来があるのか。問題はどんなものがあり、どうすれば解決できそうか。施策を検討する方々には、ガムシャラに突き進むのではなく現実的なシナリオを国民に提供していただきたいと愚考する次第です。それが一番難しいということは分かるんですけどね・・・