忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

食品包装のトレードオフについて

 

 以前も軽く書いたことがありますが、昨今また『原材料不足による食品包装の簡易化』についての議論がネットなどで散見されているため、個人的な見解としてリスク情報を整理していきます。

 

トレードオフ

 一部では「日本の食品包装は過剰包装だ」と評価されがちですが、企業は営利団体であり、無駄なコストを払うことは当然ながら望みません。

 つまり、一言で言えば意味があるからやっています

 高級店の高級な商品であればいざ知らず、マスプロダクトで無意味に過剰な包装をわざわざ無駄にやる理由は企業にはないのですから。

 

 食品の包装は「保護」「情報提供」「利便性」「物流効率」など様々な機能を保有しています。その中でも保護機能、シェルフライフの延長や食の安全は日本において非常に重要です。

 プラスチックによる適切な包装は酸素や湿度から食品を保護し、酸化・カビ・変色を防いで賞味期限を延ばすことに役立ちます。

 微生物汚染の防止も重要な観点です。日本は生鮮品の生食文化がありますので、樹脂による適切な包装は食の安全に直結すると言っていいでしょう。

 物流においても包装は大きな意味を持ちます。重い包装資材では輸送エネルギーが多量となり、弱い包装は破損率を上げて結果的に食品廃棄量を増やします。現在の包装はそれら方程式における近似解です。

 

 つまるところ、少し嫌味な言い回しとなってしまいますが、「過剰包装を止めるべきだ」とした意見は「食中毒を増やすリスク」「フードロスを増やすリスク」とトレードオフであることの理解が必要です

 どちらが良いかは、少なくとも議論の余地があるでしょう。

 なお、品質とコストを両立した代替手段は今のところありません。それがあれば誰も苦労はせず、現在の包装を簡易化したら必ずリスクは高まります。

 補足として、日本の食中毒統計において化学物質で亡くなる方はほぼ居ませんが、細菌・ウイルス・自然毒(植物性・動物性)は毎年死者が出ています。

 

異なる見方

 「過剰包装は悪」だとした固定観念、そもそも「資源の浪費は悪」とした発想自体が日本のような資源を持たない国の発想であり、アメリカや中国へ行けば「資源の浪費は素晴らしいことだ」とした人が当たり前に居るのですが、それはさておき、「過剰包装は悪であり包装の削減は善である」とした道徳・倫理での概念フレームをひとまず取り外してみましょう。

 例えば、過剰包装も悪とは限らないかもしれない、そもそも”過剰”という言葉自体が善悪を頭ごなしに決めつける道徳的なワードであり実際は過剰ではないかもしれない、そういった物の見方もありえます。

 

 別の見方の入口として、まず、日本は先進国の中でもフードロスが少ない世界的な優等生です。

 過去に2021年の国連環境計画(UNEP)が調査した食品廃棄指標報告を記事にまとめたことがあり、他国に比べて日本のフードロスは少ないことを示しています。

 そして日本に限らず世界的な傾向として、フードロスは小売りや飲食サービスではなく家庭での廃棄が主因です。人々は意外なほど家で食品を捨てています。

 その中でも日本は家庭での廃棄も比較的少なめであり、日本の小分け包装や高バリア包装は一見すると過剰包装ですが、むしろ使い切りや長期保管の役に立ちフードロス削減に大きく寄与するやり方になっていると言えるでしょう。

 

 全体最適で見ても食品包装は効果的な方法です。

 二酸化炭素・水・土地などの環境負荷を比較すれば、「包装材を削減した分」よりも「食品を作るために使われた分」のほうが遥かに大きくなります。包装に使う資源は大きな損失を未然に防ぐためのものであり、とても効果的な必要経費です。

 

 フランスのような量り売りや紙包装にすべきだとした意見はリスキーです。日本は高温・高湿の国であり、欧州のような包装削減モデルをそのまま輸入すると食中毒リスクが跳ね上がります。「なぜ日本で戦後のような方法から現代の包装に変化していったか」を考えれば簡単な話で、それはただ必然だったためです。

 

結言

 どんな意見も人それぞれ自由ではありますが、その主張におけるトレードオフを明示しないのは不誠実ではないかと個人的には思います。

 それが無知であれ、無意識であれ。

 

 

余談

 少し面白いデータとして、2024年版のUNEPの報告書も見てみましょう。

 データ自体は2021年版からそこまで大きく変動していなかったため記事としてはまとめていないのですが、「可食」の違いに関する項目の部分が興味深かったです。

 

 可食部位は文字通り食べられる部分で、人々は「それを捨てるのは勿体ない」と見なします。

 対して不可食部位は「それを捨てるのは仕方がない」と一般に判断されます。

 そして、「それが可食かどうか」は社会的認識、食文化や宗教に大きく影響を受けることに留意が必要です。考えてみれば当たり前のことで、なにをどう食べるかは世界で共通した認識がありません。

 

 以下はある基準に基づいて「可食」とみなされる食品廃棄物の割合を研究したデータです。

 少し安直ですが、数字が大きいほど「まだ食べられるものを捨てている」と言えます。

 

 この項目では、次のようなことが述べられています。

  • 多くの高所得国(日本を除く)は「可食」部位をたくさん捨てているよ。
  • ブラジルとインドネシアは高中所得国だけど「可食」部位をあまり捨てていないね、素晴らしい!
  • 日本は長年にわたり食品廃棄削減を積極的に取り組んできた国だから他の先進国とは別枠だよ。

 少し穿った見方をすれば「日本人は何でも食う奴ら」と言われているようなものですが、まあ、日本人からすれば誉め言葉と受け取っておいても良いでしょう。食べられるものを捨てるのは我々からすれば"恥"です。

 

 というか、日本人的感覚からすれば「日本の食品廃棄物には可食部がまだ33%も残っているのか、それは勿体ない」でしょう。

 先進国のそれは70%オーバーですので、「7割も食べられる部分を捨てているとか、どの面下げて環境や畜産の問題に向き合っていますと言っているんだ、まずはちゃんと大切に食え、食えるところは全部食え、話はそれからだ」なんて思います。