過去にも一度だけ取り上げたことがあるマンスプレイニングについて、再度私見を述べていきます。
マンスプレイニングに関して
マンスプレイニングはMan(男性)とSplaining(説明するの俗語)を組み合わせた造語です。
マンスプレイニングは社会学的な用語ではありますが、厳密な定義はなく、大枠としては「男性が他者に対して見下したかのような自信過剰な態度で何かについてコメントしたり説明したりすること」を意味する言葉であるものの、男性から行われるもののみをマンスプレイニングと定義する学者もいれば男女を問わず誰でも行い得るものだとする学者もいます。
また、そもそも他者を批判するための造語にマン(男性)を用いるのは性差別的ではないかといった議論も生じており、様々な意味でとても扱いの難しい言葉であることは間違いありません。
マンスプレイニングは男女を問わず誰でも行い得るものだとする見解があるとはいえ、感覚的に私たちがマンスプレイニングを感じるのは男性からの場合が多いでしょう。
ある研究では、性別に関係なくほぼすべての人が過去1年に少なくとも1回はマンスプレイニングを経験しており、そのうちマンスプレイニングの行為者が男性である可能性は女性のほぼ2倍であり、被害の比率は女性のほうが多いと報告されています。
つまりマンスプレイニングの最も典型的なパターンは【男性】⇒【女性】であり、私たちの感覚は学問的にも正しいと言えます。
感覚的な統計を取ることの難しさ
ただ、一概に「マンスプレイニングは男性が主に行うものであり、男性の行動様式を変革しなければならない」と言い切っていいものかどうかは難しいところです。
近年の別の研究を見てみましょう。
この研究では【男性】と【女性】の全組み合わせでマンスプレイニングに該当するコミュニケーション(見下した説明/無視/発言の中断)を行った場合の反応を観察しています。
その結果、【男性】⇒【男性】、【女性】⇒【男性】、【女性】⇒【女性】の組み合わせと比べて【男性】⇒【女性】の場合が最もパフォーマンスへのマイナスの影響が大きく、また男性の受信者は発信者が男性であろうが女性であろうが変わらない受け取り方をしたと報告されています。
すなわちこの研究結果は、男性が選別的に女性を選んでマンスプレイニングをしているのではなく、あるコミュニケーションをマンスプレイニングだと認識して負の影響を受けるのは女性のほうが多いことを示していると言えそうです。
One possibility our results suggest is that recipient gender may be what drives “mansplaining” as a phenomenon, rather than condescender gender.
(私たちの結果が示唆する可能性の一つは、マンスプレイニングという現象を引き起こす要因は、蔑視する側の性別ではなく、受け手の性別であるということです。)
もちろんこの研究は量的研究ではないため、男性のほうがマンスプレイニングをしやすいことを否定するものではありません。
ただ、「マンスプレイニングを受けているか」の研究一つ取っても、そもそも誰が何をマンスプレイニングだと認識するかは固定化できないため難しいことが分かるかと思います。
結言
二つほどマンスプレイニングの研究を紹介しましたが、マンスプレイニングを社会問題とする場合、実のところ科学としてはここまででも十分です。
社会問題の基本として、科学は対策を定めません。科学は原理原則や因果関係の説明をしますが、その先の集団としての意思決定は政治の世界となります。
例えば気候変動問題が分かりやすい事例で、「大気中のCO2濃度増加によって気候変動が進んでいる」までが科学の領域です。その対策としてCO2排出を減らすのか、気にせずCO2を排出し続けるのか、CO2排出を減らすにしても原発にするのか再エネを増やすのか人類を減らすのか、そういった意思決定の方向性は無数にあり、そのどれを選ぶかは科学ではなく政治で決まります。
同様に、【男性】⇒【女性】へのマンスプレイニングが行われるとパフォーマンスが落ちることは科学的な分析結果です。その対策をどうするかは科学ではなく政治的に決めることとなります。
男に何を言われようが気にしないメンタルを持ったマッチョな女性を育成するもよし、女性に何かを説明するときは全力で繊細に行う紳士的な男を育成するもよしです。
個人的には、どのような方向を選ぶにせよ人々がもっとも幸福になる方向であれば良いかと思っています。