忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

人の意見の影響力は案外強いのだと知った

 人様が美味しいとか面白いとか言うものは本当に美味しかったり面白いのだろうと思います。美味しいと紹介された近所のお店には必ず行きますし、面白いと紹介された作品は積極的に楽しんでいます。

 逆に人がマズイとかつまらないと言うものはきっとその人には合わなかっただけだろうと思います。あえてそのお店に行って食べてみたり、何をつまらないと感じたのかを確認するために作品を見たりします。

 そんな、実にねじくれた天邪鬼な思考を持っています。

なぜかは自分にも分からない

 この天邪鬼さに関して屁理屈でも付けてみようと考えてみましたが特に真っ当な理由は思い付きませんでした。恐らくですが料理にせよ作品にせよなんにせよ、少なくとも提供者は良いものだと思っているからこそ人に提供するのだから、きっとどこかしらに良いところがあるはずだ、という考えだからです。

 もう少し細かく説明すると、提供者は自らが思う「良い」ことをはっきりと持って作品を提供していると信じています。しかしそれを受け取る人がどのように受け取るかはまさしく人それぞれです。誰もが納得する完璧なものというのはあり得ない以上、どうしても提供者の「良い」と受け取り側の「良い」が噛み合わないことは起こります。マズイとかつまらないという感想はそのズレが起きてしまった結果であり、私が同じ感想を持つとは限らないのだからその作品を避ける理由は無い、むしろ触れてみてどうズレがあるのかを調べてみよう、と考えます。受け取り側の感想を信じていないわけではないのですが、それよりは提供者の良いと思うことを優先しようということです。

 もちろん世の中には自分がまったく良いと思っていない悪いものを高い値段で売りつける悪人も居るでしょう。しかし私個人の範疇ならば悪人に騙される程度であればまあ許容範囲内ですので、提供者の善良さを信じている次第です。

 あまり論理的ではなく信仰に近いものかもしれませんので人様にはお薦めできません。悪人が悪いものを売っていることがあるのは事実ですからね。

人の意見の影響力

 物事の判断基準をどこに置くか、人の意見をどう参考にするか、ということに関しては過去に記事を書いたことがあります。

 何を基準としても構わないというのが結論でしたが、先日少しカルチャーショックを受けました。

 若手の技術者と時事的な話をしていた時です。私は口癖のように「なんでそう思ったの?」とつい聞くのですが、その時の答えが「ヤフーニュースのコメントで皆がそう言っていたので」「皆がそう言っているのだからそれが正しいのだと思います」でした。

 その子からは他にも「Amazonのレビューで否定的なコメントが多かったのでその本は読んでいません」「書評が良かったのであの本は良い本です」というようなことを言われたことから、他人指向型の判断基準を持っていることが分かります。

 内部指向型の私とは異なる判断基準ではありますがそれ自体は特に問題ではありません。ただ問題だと思ったのはその情報ソースの少なさと多数決の論理です。どのような判断基準であろうと物事を判断する時は情報を並行して比較するべきであり、一面的な情報だけでは偏向する危険があります。また多数派の意見であれば正しいというわけでもありません。

 そして何よりも不足していると感じたのは【自分の見解】が無かったことです。

 他人の書評や人の意見というのはまさしく参考です。それらは自身の基準に照らし合わせるものであり、【自分の見解】⇒【他者の見解】⇒【結論】という順序で見るものです。どちらの見解に加重を取るかということで内部指向型と他人指向型が分かれます。

 しかしその若者は【他者の見解】⇒【結論】で考えており、【自分の見解】が存在していませんでした。確かに他人指向型は若者に多く、若者にはまだ知識と経験が不足しているから確固たる自分の見解が無いのは仕方がないことです。ですが他人の見解を重視することまったく自分の見解が無いことは意味合いが異なります。「私はこの服をお洒落だと思うけど、今時の流行に合っていないからあっちの服を買おうかな」というような他人指向型はまったく問題ないと思いますが、「何も考えていないけど流行の服を買おう」は大変にリスキーです。

 人は自分で決めたことであれば諦めが付きますし成長もしますが、人が決めたことで失敗した場合は不満だけが残ります。それは自らの人生を生きる上においてあまり良い結果を及ぼさないでしょう。不満を減らすためには自分の見解を持ち、自らの指針に従って決断する以外にありません。他者の見解を重視するという決め方であってもそうするということを自分で決めるべきです。

 自分の見解が全く無いということを想定していなかったため盲点でした。元々ヤフーニュースのコメントは見ませんし、書評は筆者の意見であり私の見解とはまったく別物の参考として考えていたため、これらの影響力を軽んじていました。なぜレビューやコメントが社会問題になるのかいまいち実感的に分かっていませんでしたが、自分の見解がまだ無い人にとってこれらの影響力は極めて強いものだと今回理解することが出来たと思います。

 いつも私の持たない視点を教えてくれる若手に感謝です。

余談

 元々ネガティブフィードバックが苦手なため、ポジティブで良い事が言えそうな時だけ意見表明したりネット上でコメントを書いていましたが、人の意見の影響力というものに今回改めて気付かされたことから今まで以上に「ポジティブなコメント」を書くように注意したいと思いました。ネガティブな影響力はあまり振り撒きたくないので。まあ、これは個人の好き嫌いだと思いますが。