忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

自らの怒りに向き合う

 職場の後輩からは「先輩は全然怒らないですよね」と言われますが、職場の目上の人からは唐突に噛みついてくる狂犬のような扱いを受けています。二面性が酷い。餌を与えてくれれば少しの間だけ大人しくしますよ、ワンワン。

 

 今回は私が今よりも怒りにくい温厚な人間になるため、私が怒る時のトリガーを自覚・分析・内省してみます。目指せボーディ・サットヴァ、すなわち菩薩。いえ目指す気はさすがに無いです。ただ温厚な人間でありたいという願望はあります。

 怒りを発露するのは・・・月に数回くらいですかね?どれも職場の目上の人相手です。あ、やっぱり狂犬なのかもしれません。

 

 事前に断っておくと、怒りを覚えること自体は悪いことだとは思っていません。むしろ積極的に怒りを持てる人を凄いと思っています。怒りは精神力が満ち溢れている証拠であり、それは健康で健全です。弱っていたり枯れている人に怒りは持てません。その怒りを人にぶつけることについては同意しかねますが、怒りを持つこと、そしてそれを内的な原動力とすることは肯定的に捉えています。

 

勝手に期待して勝手に裏切られる

 過去にも記事にしましたが、私が怒りを覚える最大のパターンは相手がこちらの期待に届かない場合です。

 正直なところ後輩や若手にはそこまで強く期待をしないようにしているため、何をやらかしたとしても「まあくよくよしてもしゃあない反省して改善して次行こうぜ次」という気持ちです。怒っても仕方がないです。

 期待された方が伸びる子がいることも承知してはいるのですが、相手の求める期待値とこちらの持ってしまう期待値の帳尻を合わせるのは案外難しいことだと思っており、それによって理不尽な怒りをぶつけかねないことを考えると私の才覚では手に負えないです。それよりは最初から期待値をミニマムに下げておき、上手くいったら褒めて伸ばす方針で今後も行きたいと思っています。

 

 反面、私よりも目上の人に対しては「私よりも長生きしているのだから当然私よりも出来るよな?」という異常に高い期待値を持っています。救いようのない理不尽さです。

 これは私の期待値が高すぎるのが明らかに悪いのですが、新人時代に現場リーダーから受けた教育の賜物であることも言い訳として残しておきます。

 社会人一年生、技術屋として配属された私は「これを頼んでこい」「あれを持ってこい」という先輩のお使いクエストで頻繁に製造現場へ通っていました。しかし現場はパートの人や高卒の若者が多く、大学出たての若造が下手に出ればいいのか対等な顔をしてもいいものか、まだ距離感が分かっていませんでした。そんな困惑していた時期に叩き上げタイプの現場リーダーに言われたことが今でも記憶に染み付いています。

「お前は俺よりも年下で俺よりも職歴が浅いんだから、お前が何を思っていようと俺の言うことが全て正しいんだ!口答えせずに黙って全部従え!」

 攻めた言葉であることは間違いないですし年齢や職歴となると一生追い付くことはできないじゃないかと不満を感じたことも事実ですが、ある意味それはそれで説得力がありました。その人は人当りが強いものの面倒見も良く、仕事もできて、リーダーとして責任を持ってそのフロアを管轄していたという現実は何よりも凄みがあったのです。少なくともこの場ではこれがルールであり、まずはそれに従おうと思わせるほどに。

 そんな有難い教育をいただいた結果、私よりも年上で私よりも職歴が長い人に対してはまず間違いなく私よりも仕事が出来る人なのだから敬意を持って言うことに大人しく従おうという意識が芽生えました。これはこれで社会人としては助かる技能なので早めに教わっておいて良かったです。

 

 しかしながら、その教育の副作用というべきか、求められている能力や成果を出していないベテランに対して苛立ちを覚えるようになりました。高い敬意を示す代わりにそれが不満足な状態になると噛み付くのです。「こちとらあんたの肩書きや能力に対して頭を垂れてるんやで、あんたがそれを示せないんだったらその椅子から降りてもらわんといかんなぁ」という、まるで野犬の群れのボス争いのように。

 結果、為すべきことを為さない年上や示すべきものを示さないベテランには噛み付く凶暴なエンジニアに育ちました。仕事においては完全なる実力主義の徒なのです。

 うーん、紛うことなき狂犬ムーブ。ぐうの音も出ないとはこのことですね。

 一応の補足として、噛み付くといっても物理的な攻撃をするわけじゃないですよ、文明人ですので。ちょっと塩対応といいますか、あまり大きな声で言えないような辛辣な言葉遣いになるだけです。本当に文明人かな?

 

どう改善したものか

 振り返ってみると勝手に高い期待をしてそれを裏切られたと勝手に思い込むパターン以外で怒りを覚えた記憶が無いです、少なくとも覚えている限りでは。ということはこれを改善すればより温厚な狂犬・・・ではなく温厚な人に成れるでしょう。

 ・・・さて、どうしたものか。そもそも期待しないのが手っ取り早いのでしょうが、私としては期待こそが仕事上での敬意の根源であり、プライベートでの目上への敬意とはまったく別物として機能してしまっています。散々噛み付いたことのある人に対しても「あの人は良い人だよね、優しいし丁寧だし。だがそれはそれとして仕事に関しては噛み付くけどな!」という公私完全分離状態なため、期待しないのはなかなか難しいのです。

 目上=仕事が出来る=尊敬というおかしな等式をなんとか崩さなければいけないのですが・・・

 

実験してみよう

 いっそ仕事が出来るという定義を変えてみることにします。ファンクションの幅を広げるのです。仕事が出来るといっても実際の中身は多種多様であり、技術力や設計力が高いというだけでなく、アクションが早い、社内政治力が高い、交渉力がある、根回しがうまい、などポイントは様々にあるのですから、どこかしらでその人の仕事が出来るポイントを見つけることが出来ればきっといちいち噛み付かずに敬意を示し続けられるはずです。まずはそれを実験してみたいと思います。

 まあ、「目上なんだからそれら全部が出来ないと駄目だ」と悪化しかねない気もしますが、そこは気を付けることにしましょう・・・