忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

弱きを助け、強きはとにかく挫け?

 今はなきお婆ちゃんとの思い出。

「婆ちゃんは箱根駅伝が好きだよね、正月になるといつもテレビに張り付いてるし」

「若者が頑張ってる姿がね、好きなんだよ」

「いつも負けてる学校を応援してるけど、なんで?」

「婆ちゃんはね、弱い方を応援してあげたいんだ、弱きを助け強きを挫くのさ」

「強い方も頑張ってるんだから、別にわざわざ挫かなくてもいいんじゃない?」

「いや、強い方はとにかく挫かないと駄目

 温厚でいつも優しかったお婆ちゃんのちょっと苛烈な一面を見た気がして、なんとなく記憶に残っています。

 

どの強きを挫くべきか

 弱きを助け強きを挫く。あれから20年以上経ちましたが、未だに答えが見つかっていない私にとっての長年の課題です。

 弱きを助けることにはなんの疑問も衒いも無くまったくもって同意です。困っている人がいれば救いたいですし、立場の弱い人がいれば手助けしたいです。それは義理人情や任侠的な気風のような情けの心を持つことを良しと考えるためです。

 また権力や立場を笠に着て横暴な態度を取り弱き者を虐げるような強きは積極的に挫くべきだと、それもまた人情として為すべき正しい行いだと考えます。元々このことわざの意味はこういった強欲で迷惑になる人が世にのさばるのを抑えつけましょうという意味ですので、その通りのことを為したいものです。

 

 ただ、強きはとにかく挫くべきだというのは賛同していいものか迷っています。強いこと=悪いことではないと思いますし、なんでもかんでも挫けばいいものかというと、なんとも難しいです。

 強きを挫けるのは優れた個人なり数の力なりの、より強き存在じゃないですか。強きはとにかく挫かねばならないとなると、強きを挫けるのはより強きであり、そのより強きは挫かねばならぬのでさらにより強きが必要になり、しかしそのさらにより強きはやっぱり強きなので挫かねばならず、そのさらにより強きを挫くためには・・・と、強きがインフレしていくばかりだと思うわけで。弱者を虐げる強者を倒す黄門様までも強者として打ち倒すべきかというと、さすがにそれはやりすぎではないかと考えます。

 また、強きはとにかく挫けとなってしまうとそれこそ『出る杭は打たれる』ことに繋がりかねないことも懸念します。才覚を示し頭角を現した人を強きと認定して手当たり次第引きずり降ろしていたら、頑張って能力を発揮しようという人々の気概を損ねかねません。

 そのような考えのため、強きはとにかく挫け、にはちょっと一概には同意しかねるというか、何をどこまで挫くべきかは都度都度考えるべきじゃなかろうかと思う次第です。まあ、少なくとも箱根駅伝で上位にいる人たちは何も悪いことはしてないですし挫く理由はないかなと・・・

 

平等の価値

 この強きはとにかく挫けをどう許容するかは機会と結果、それぞれの平等の価値をどの程度に見積もっているかで変わるような気がします。

 機会の平等を重視する人は「強いのは努力と才能と運の結果であり、ただ挫けばいいというものではない」という考えになるでしょうし、結果の平等を重視する人は「強いのであればそれによって得たものを弱きに還元すべきだ」と考えるでしょう。

 どちらが絶対的に正しいというものではなく、結局はバランスの問題です。機会の平等だけを絶対視しては格差が広がり、それは社会の分断や治安の悪化を生むでしょう。結果の平等だけを絶対視しては誰も努力をしなくなり、それは社会の衰退を招くでしょう。

 過去の歴史を見ても統制経済が上手くいくことはあり得ないため、人の社会が繁栄するには自由市場が不可欠です。そして自由市場を担保するためには誰もが参入できる機会の平等が必須です。よって機会の平等は可能な限り達成されなければなりません。しかしそれだけを推し進めていくと格差が拡大し、資本の固定化が進んでしまい自由市場を害します。よって結果の平等として必要な程度の再分配が行われなければなりません。

 つまるところ、弱きを助けることのできる健全な強きの存在は必要であり、そのためには機会と結果の平等を適切なバランスに保つ必要があると、そう愚考します。

 

 

余談

 『高い木は風を強く受ける』『Tall poppy syndrome』というような言葉があるように、『出る杭は打たれる』というのは別に日本に限らず世界中どこでもそうですが、正直あまり好きな風潮ではありません。伸び過ぎて地表の小さな草花を覆い隠すような木は剪定が必要でしょうが、邪魔にならないのであれば、ただ大きく育ったというだけの理由で切り倒すまではしなくてもいいんじゃないかな、と思います。その大木の根が土をつなぎとめて草花が生える土壌を作っていることもまた事実なのですから。