忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

女性議員比率に関する余計な思索:性自認と男女平等

 誰が正解を語れるのだろう。

 

現状把握

 男女平等に関する国際的な指標は様々ありますが、日本は多くの指標で低スコアの低順位です。

 よくニュースで話題になる世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数」やエコノミスト誌が毎年発表する「ガラスの天井指数」は明確に低順位であり、他にもSDGsのSDG5「ジェンダー平等」は”大きな課題が残る”と判定されています。

 

 これらの指標において特に日本のスコアと順位を落としている要因の一つが国会議員の女性比率です。OECDの平均が約25%であるのに対して日本は約10%の比率であることがスコアと順位に大きく影響しています。

 一例として、国会議員や大臣の男女比率が変わった場合、大雑把な概算ですがジェンダーギャップ指数における日本の順位は次のように変わります。

 ・現状(女性議員が10%):116/146位

 ・女性議員が25%になった場合:112/146位

 ・女性議員が50%になった場合:64/146位

 ・女性議員と女性大臣が50%になった場合:25/146位

※女性が総理大臣になるとさらに順位が上がりますが、総理大臣だけはその時々ではなく50年間での男女比のため、すぐにはスコアに現れません。

 

 これはあくまでスコアの算定条件を理解していればこのような順位のハックが可能だという一例です。単純に女性議員比率が高ければ男女平等なのかと言えば、当然そうではない側面も多々あるかと思います。

 

余計な思考実験

 さらに余計な思索を進めます。

 

 もしも、日本の政治家のおじいちゃん達が、「私の性自認は女性である」と申告した場合、どうなるのでしょう?

 

 もちろん日本では法律が整備されていない以上、自己申告による性別の決定はまだできません。よってこれは現時点で意味の無い、ただの思考実験です。

 とはいえ欧州では自己申告で性別を変更できる国がすでに10か国ほどあり、これが世界の潮流なのだとすればいずれ日本でも同様の法整備が進む可能性はあります。

 日本も将来的にそうなった場合、このような指標のハックはどう扱われるべきなのでしょう?

 

 これを肯定する場合、シスジェンダーの女性に対する強烈なガラスの天井になりかねません。なにせ国会議員からシス女性を排除して全員おじいちゃんにしたとしても、半数のおじいちゃんを「おばあちゃん」だと自己申告させれば数字上は男女平等の国と判定されます。

 

 これを否定する場合、今度はトランスジェンダーの女性に対する差別へ繋がりかねません。トランス女性は女性として扱わないと明言するのに等しく、国家としてLGBTの差別を推奨するような行為は今のご時勢からして論外でしょう。

 

 意味の無い思考実験ではありますが、今の時点では肯定も否定も適切ではない事例になるような気がします。

 

結言

 性の多様性は昨今のホットな話題ではありますが、学術的な研究や議論が進行しつつあるとはいえ未だ発展途上のため、まだ画一的な概念や文化的・社会的理解の定まっていない分野でもあります。世代間での認識も大きく異なることから、何らかの社会的合意を短期間で形成することは難しいでしょう。

 ただ、いずれにしても個々人が考えてみることには意味があるのではないかと思います。

 

 

余談

 「性スペクトラム」の概念が導入されることによってそもそも男女二元論で語るのはおかしいといったところに落ち着くのでしょうか。それとも何かしらの基準を持って区分するようになるのでしょうか。

 例えば銭湯であれば、江戸時代のように混浴のみになるか、あるいは個室風呂のみになるのか。はたまた現状が維持されるのか。

 なんともはや、未来がどうなるかは分からないですね。