忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

安全運転の極意を考える

 「俺は車の運転が下手だ」

 「俺は車の運転が下手だ」

 「俺は車の運転が下手だ」

 「よし、出発だ」

 私は時々、自己暗示をかけてから運転を始めます。

 

 ああ、いえ、怖い話ではありません。傍から見たらただのホラーですが。

 助手席に座りたくない運転手ランキングがあればそこそこ上位を取れそうです。

 

過信してはいけない

 通勤で車を毎日運転しつつも一応は無事故無違反のゴールド免許であり、今のところ交通事故を起こしたことはないです。

 ただ、私は調子乗りの自信家なので、油断するとすぐに「私には人並みの運転技能がある」と誤解する悪癖を持っているため、その思い込みを消し去るために自己暗示をかけている次第です。

 

 交通安全白書で発表されている交通事故の年齢別事故率や法令違反別の統計を見れば分かるように、事故を起こすのは若者と高齢者が多く、事故の原因は運転操作不適や漫然運転、脇見運転のような安全運転義務違反が過半です。

 となれば単純に、「できないのにできると思っている」「気を付けなくても問題ない」「ちゃんと運転できる」という自身の運転技能への過信と油断が事故の元と言えるでしょう。

 よって、自身の運転技能を過信せず常に気を付けて注意を払わなければならないと意識することは事故防止に効果があると考えます。

 

発想の逆転という名の愚考

 とはいえ常に自身の運転技能に不信感を持つのも難しいものです。どうしたって人は慣れてしまうものであり、特に毎日運転している人が自らの能力を疑い続けるのは困難かと思います。

 

 そこで先日考えたのが逆転の発想、名付けて「俺様以外全員初心者」運転です。

 やり方はとても簡単で、周囲を走っている車は全て初心者マークを付けた素人だと想定すればよいだけです。

 自らを低く見積もるのではなく他者を低く見積もるという傲慢さの権化、俺様は運転が上手いのだという唯我独尊、周りを走っている奴らは初心者マークを付けたヒヨコ共だという傲岸不遜。

 これこそが安全運転の極意になり得るのではないかと愚考してみました。

 

 何言ってんだこいつ、と思われそうなので説明します。説明しますとも。

 ・・・初心者マークを付けた車って、ちょっと怖くないですか?

 なんと言いますか、こう、ちゃんとウインカーを出してくれるかな?急にブレーキを踏まないかな?急ハンドルで車線変更してきたりしないかな?といった緊張感が多少なりともあると思うのですよ。

 運転初心者が流れに乗るような運転をするのはまだ難しいですし、そもそも道交法をちゃんと遵守できるかも怪しいものです。それは誰しも経験してきた道だと思います。周囲の車がそんな感じでおっかなびっくり運転していると勝手に想像すれば、ぶつけられたらたまったものじゃないという気持ちになって車間距離を多めに取ったりお先にどうぞと譲る気持ちになったりしないかなー、と思いまして。

 勝手に恐怖して勝手に周囲へ配慮する、傲慢に見えてそれはむしろ安全運転に繋がるのではないかと、そう思いまして。

 

愚考の利点

 ろくでもなく馬鹿馬鹿しいこの方法の優れている点は、お手軽かつ長期的に実行可能だということが挙げられます。

 自身の運転技能を疑い続けるのは年を追うごとに難しくなっていきますが、周囲の車を初心者だと見なすのであれば何歳になっても実行可能です。いえ、むしろ運転を続ければ続けるほど、運転に自信が付けば付くほどやりやすくなる方法と言えます。

 人間心理を逆手に取ったこの方法、アリではないかと思うのですが、いかがでしょう?

 

結言

 同僚からは「は?何馬鹿なこと言ってんだ?」というリアクションをいただきました。

 

 

落とし穴

 「俺様は運転が上手い、だから周りに配慮する必要なんてない」という天上天下唯我独尊人間には効果が無いどころか悪影響な気がするので、広めてはいけない思想かもしれません。

 まあ、そういう人は謙虚な運転意識を持つこともないのでしょうけど・・・