忘れん坊の外部記憶域

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経済関係の深化は戦争を完全に防げるわけではないことを日本人は知っているはず

 Capitalist Peace(資本主義者の平和・商業的平和論)に該当する言説をSNSなどで不定期に見かけます。

 最近であれば台湾有事が生じる可能性について、「経済的に不合理であり中国が武力侵攻に至る可能性はない」といった類のものです。

 

 経済関係の深化と依存は戦争リスクを減らす効果は認められているものの戦争リスクを完全にゼロにはできないことが歴史的にも学問的にも分かっているはずですが、しかし経済関係が戦争を撲滅することへの期待は根強く残っているようです。

 とはいえ、それが難しいことは経済損失を分かった上でウクライナへ侵攻したロシアの事例や100年以上前の歴史をもって語ることができますが、それ以前に日本人であれば十分に知っているはずです。

 なにせ日本は経済的合理性が無いにも関わらず戦争をした国の代表例なのですから。

 

戦前のアメリカへの経済依存

 戦前の日本は軽・重工業の原材料を欧米から輸入して加工貿易をすることで外貨を稼いでいました。また国家の血液である石油は民間と軍の総需要の約40%程度しか自国生産で供給できておらず、1935年であれば不足分はほとんど海外からの輸入、特にアメリカ合衆国カリフォルニア州からの輸入に頼っていました。

 つまり当時の日本は経済の構造からして欧米、特にアメリカへ依存しており、経済合理性だけを考えれば日本がアメリカに戦争を仕掛ける理由は皆無です。アメリカと敵対すれば間違いなく経済が立ち行かなくなることは当時でも分かっていたことです。

 参考として、日中戦争の開戦において両国が宣戦布告を伴わなかったのは、日本の石油依存や中国の援蒋ルートを代表に、両国がアメリカに依存しておりアメリカの中立法が発動して輸入がストップしてはどうにもならなくなるためです。

 

 なぜそのような状況で日本がアメリカへ戦争を仕掛けたかは様々な理由を持って説明できるでしょうが、これは少なくとも経済的合理性だけが開戦の意思決定権を持っているわけではないことが顕現した典型例です。

 とても残念ながら、戦争は経済的に不合理な場合でも起こり得ます。

 

現代の戦争は儲からない

 そもそも経済的な合理性だけでは開戦理由が説明できないことは現代の戦争に掛かるコストを考えると分かります。

 かつての戦争、王様や将軍が差配する封建社会では経済的合理性が開戦に関わる大きな尺度でした。

 もちろん例外は多く、宗教や血縁など様々な理由をもって戦争は生起します。しかし戦争によって領土を奪い利益をあげることが期待できた時代では「儲からないなら戦争はしない」選択が存在しており、意思決定において経済的合理性は大きな比重を占めていました。

 これが近代以降の国民国家になると話が変わってきます。

 産業の発展により王族や貴族が資本を独占できなくなったことが国民国家の成立した経緯であり、それゆえに国民国家は戦争へ投入できる膨大な資源を保有しています。国民国家の登場が戦争の規模を大きくしたと言ってもいいかもしれません。もちろんそれを支える産業の発展が主因ではありますが。

 また国民主権は人々の戦争への当事者意識を大きく変革しました。かつての大衆にとって戦争とはお偉いさんが勝手にやっている程度のものでしたが、国民国家では自分たちの直接的利権を保護するために国民自らが戦争へ身を投じるようになります。これはフランス革命戦争が国民の代表であるフランス革命政府からオーストリアへの宣戦布告によって発生したことからも分かります。

 よって国民国家は国家の持つ莫大な資源の全てを戦争へ総動員することができます、すなわち国家総力戦です。

 総力戦は本来利益を生み出すために動いていた機能すらも戦争へ割り振るようになるため、戦争の勝敗に関わらず、賠償金や領土の割譲では到底追い付かないほどの莫大な赤字を生み出します。畢竟、現代の戦争、特に総力戦は必ずコストが見合いません。戦争で利益が出る時代は遥か昔に終わっています。

 国民国家はそれを承知の上で、しかし経済的合理性をかなぐり捨ててでも戦争を選択してきた歴史がある、この点は重々留意しなければならないことだと考えます。

 

結言

 トゥキディデスが定義する戦争が起きる理由の「名誉・利益・恐怖」のうち、経済関係の深化は利益に該当するものであり、経済関係の相互依存や海外投資は戦争を減ずる方向に働きます。これは学問的な事実であり、今後も促進していくべきでしょう。

 ただ、戦争のトリガーは経済的合理性が全てではないことは人々に認識される必要があります。人間はたとえ不合理であっても闘争へ走ることがあることを忘れてしまっては、防げるかもしれない戦争を防ぐことができなくなるかもしれません。

 経済関係のみに戦争抑止を依存することの危険性は、自国の歴史的経緯を踏まえれば日本人こそ充分に理解できると思います。