忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

お金の話を無視してはいけない

 社会問題や議論において、常に留意されるべきこと。

 

お金は大切

 お金の話を露骨にすることはあまり上品ではないとする社会常識があるかと思います。

 もちろん過度にお金に傾倒すると汚職や拝金主義の温床となりますので、お金を中心に物事を考える必要はありません。

 ただ、それらを忌避し過ぎて「お金の話をすることは下品だ」とまで行き過ぎてしまい、お金の話を無視してしまうことはとてもリスクがある思考だと考えています。

 お金を中心に考える必要はありませんが、お金のことを留意しておくことはとても重要です。

 

 まず、物事を維持したり変化させるためには必ずお金が掛かります。必要物資の購入や消費に限らず、人を動かすためにもお金は必要です。

 何かしらを変化させたい人も、現状を維持したい人も、必ずそれに掛かるコスト意識を持たないといけません。明らかに費用対効果が悪い変化はそれだけで現場からの拒絶感を生むものですし、維持コストを留意しないまま安易に現状維持を求めると現場が悲鳴を上げることになります。

 どれだけ変化が必要なことでも、どれだけ現状を維持したくとも、信念や必要性のみでは物事がどうにかなることはありません。

 

 また、お金は責任を生みます

 お金は衣食住を満たし生存を実現するための道具です。つまり人間にとってお金を稼ぐということは原始から形を変えた狩りや採取の一種であり、生きるための行為です。

 生物が求める最大の欲求が生存欲であり、生存に直結するお金が関わると人は強い責任を感じます。「金の問題は人の情を強く刺激する」と言われているのはまさしく本能的なものだからです。だからこそ時には他人の命を脅かすようなお金に関わる事件が世界中で頻発しています。

 極論ではありますが、お金のことを留意していない人は無責任なことを言いかねません。理念や理想が先行して現場の人がちゃんとご飯を食べて生活できる程度のコスト意識を持たないと、当然ながら現場からは強烈な反発が生じます。

 だからこそ、お金を中心に思考する必要はありませんが、あまり無責任なことを放言するのも望ましいものではありませんので頭の隅に置いておく必要があります。

 

 

社会問題や議論の切り口として

 様々な社会問題や議論では「なぜこの理想が実現されていないのか」「なぜこのようなやり方が継続されているのか」「なぜこんな変化をするのか」といった疑問が論争を生むことがあります。

 もちろんそれは伝統的に続いてきただけの非効率的なやり方であることや、無思慮な誤り、あるいは極端な拝金主義によるお金儲け先行であることもあります。

 ただ、関わっている人々がご飯を食べるため、ちゃんと生活をするためにそうなっている場合も多々あります。お金を切り口として物事を見直してみると案外と合理的な理由がそこには存在している場合もありますので、おススメです。

 

 部外者とは違い、現場の人々にとってお金を稼ぐことはとても重要です。「お金を中心に物事を考える」ことは、現場の人からすれば「生活を中心に物事を考える」ことと同義だとすら言えます。

 信念や理想は安定した生活の上に積み増すものであり、生活を捨てて新たに建てるものではありません。お金を稼げる環境が無い信念や理想は、いずれ持続できずに終わってしまいます。必ず生活基盤の上に積み増さなければなりません。

 

結言

 もちろん汚職や拝金主義などお金が絡んだからこそ問題行動を起こす人もいるので一概には言えませんが、だからといってお金が絡んでいれば必ず悪とは限りません。

 生きるためにお金が必要なのは誰だって同じであり、そのお金のために行動することは生きることそのものだと言えます。それを無責任に否定するのは物凄く残酷な話です。汚職や拝金主義は否定しつつ、しかしそれでも過度にお金を忌避して無視しないように、バランスよく物事を考えることが必要でしょう。