私の仕事の話ですが、海外の顧客からテストレポートが届いて技術者としてのコメントを求められることがあります。テストをした結果から「上手くいっていないから改善策を提案してほしい」だとか「もっと良い方法はないか」とか、まあそういった類のものです。
テストレポートは大抵の場合でA4数ページから数十ページ、グローバルなご時勢ですのでどこの国からのテストレポートも大抵は英語で記述されています。たまには日本語で送ってきて欲しいものですが、残念なことに今のところ一度もありません。
以前であれば技術に疎く語学力も稚拙だったため、レポートを読み込んでテストの内容を理解した上で適切な回答を模索して英語で見解を回答するのは一日がかりの大仕事でした。
先日は30分くらいで終わりました。さっと読んでパッと返答する、もはやさらっと終わる仕事です。
まあ、大したことではありませんが少なからず成長を実感します。
日々の成長を大切に
人が成長を実感するのは概ね2パターンあると考えます。
一つは出来なかったことが出来るようになること。
もう一つは出来ることがより効率的に出来るようになること。
変化としては前者のほうが大きく喜びもひとしおではありますが、個人的には小さな成長である後者も大切にしたいと思っています。
成長の実感は自己有用感や自尊心、自己信頼感をもたらします。すなわち自己肯定感の生育に役立つ感覚です。
しかし前者の大きな成長の実感は継続的に得られるわけではありません。努力が具体的な結果として実を結ぶには時間が掛かるものですし、必ずしも花が咲くとは限りません。そのため前者の成長だけに囚われ過ぎると日々の中で成長を実感できず自己信頼感や自尊心を安定して育むことが難しくなります。
それに対して後者の成長は顕著な変化ではないものの持続的に観測することができます。以前よりもいくらか上手くできた、昨日よりも少し早くなった、前回よりもちょっと良かった、それらは日常的な些細な成長ですが、成長は成長です。
大雑把に例えれば、前者に依存することは安定した定期収入がなく賭博や富くじで生計を立てるようなものです。運が良ければ上手く成り立ちますが、運が悪ければにっちもさっちもいかないことになります。
後者は膨大ではないものの安定した定期収入がある状態です。その収入は成長するための発展的なチャレンジへ踏み出す土台になり得ますし、少なくとも日々の心の安定に資するでしょう。
結言
要するに、日々の何気ない小さなことでも成長を実感できることは良いことです。その小さな成長の実感こそが自己肯定感の芽を腐らせずに育む肥料や水となります。
そういった日々のちょっとした成長は意識して感度を高めなければ実感することができません。それはちょっともったいないことです。昨日よりもご飯を美味しく作れた、前回よりも上手く話せた、以前よりもテストの点数が良かった、そういった些細な成長も大切にしていきましょう。