日常とはつまり「常日頃」のことであり、生活スタイルが変わったばかりの今の日々はまだ日常ではないのではないかと思ったりする、そんな日常。
本社は怖いところかもしれない
職場ではよく知らない人でも会話できるタイミングがあれば「まあ同じ会社の人だし少なくとも敵ではないだろう」くらいの気持ちで気軽に話しかける、私はそんなタイプの人間です。
もっと歳を取ったら若者に煙たがれるタイプのオジサンになりそうな気がします。
それはさておき、最近は引っ越しの相談がてら本社にいるあっちゃこっちゃの人と話していました。知らないオジサンばかりですので引っ越し話はちょうどいい会話のフックになっています。
先日もどこかで見たことのあるオジサンに対して気軽に、
「こんにちわー。今月から本社に異動してきました。いやー、異動で通勤時間がすごく長くなったんですよね。往復3時間なんで結構しんどいです。ですので東京に引っ越したいんですけど、ただ東京の土地勘が全然無くてですね、何も分からないので色々意見を伺っている次第です。家賃や通勤を考えると引っ越しはどのあたりがいいと思いますか?」
「へぇ、今はどこに住んでいるんだい?」
なんてことを話しながら、そのオジサンをどこで見かけたのかを考えていました。
なんかどっかで見たことあるんだよな。んー。
ああ、そうだ、たしかwebサイトや社内報だ。
・・・あ、分かった。
社長だ。
そりゃあ見たことあるわ。無いわけないわ。
本社なんだから社長の一人や二人いるよ。
待て待てうちの会社の代表取締役社長は一人だから二人はいないよ。
とまあ内心混乱しつつも特に気にせず話を続けました。良い意味でアットホームな会社なのでセーフですが、組織人としてはもう少し全うな振る舞いをしたほうがいいような気がしました。
なお家賃や通勤時間に関して定量的で分かりやすいアドバイスを頂いたので、ありがたく従う予定です。
ちなみにその前の日は「本社は偉いオジサンが多くて少し気が引けますねー」なんて軽く話していたオジサンが、他所の部長さんでした。まさしく偉いオジサンの一人です。
気が引けるどころか気安過ぎる。
組織人なんだから、自覚を持ってもう少し会社の人事に詳しくなったほうがいいような気がします。
どうでもいい話ですが、偉いオジサンのほうがアドバイスが具体的で分かりやすかったです。
「この駅は始発だから座れるが家賃は少し高い」「家賃重視ならこの駅がいい、駅前にスーパーもあるから生活には困らないし、急行も止まるから通勤しやすい」などなど。
やっぱり偉くなる人は凄いや。(小学生並みの感想)
得意だから楽、不得意だから苦、では勿体ない
以前にも書いたことがありますが、私は人見知りなので知らない人と話すことは不得手ですが、物怖じしない性格でもあるので知らない人に話しかけることは苦ではありません。
つまりは、私は物怖じしない性格なのであって、人見知りではあるのです。外から見てその区別が付かないだけで。
モノオジしないので、知らないオジサンにも平気でモノ申します。
なんて雑な冗句、オヤジギャグはさておき。
多くの人は不得手なことをする行為を好みません。
人は物事を思うがままやりたいようにやることにこそ楽しさを見出す生き物ですので、やりたいようにやれない不得手なことをする行為に苦を感じるのは自然な感情です。”苦手”の言葉が示す通り、不得手な物事は"苦"を生み出します。
ただ、個人的にそれは勿体ないというか、巧拙と好悪は切り離してもいいのではないかと考えています。
行動の得手不得手に対して生じる感情は絶対的で付随的なものではありません。
これは世の中を見晴るかせば簡単な話で、どんな物事においても、下手でも楽しんでいる人はいくらでもいます。
つまり不得手な行為が直接的に苦が生んでいるのではなく、その苦を生み出しているのは”恥じらい”や”見栄”といった別の感情的側面です。
だから、不得手であろうとも別に苦しむことなく実施することはできます。それこそ私のような人見知りが知らない人であっても平気で話しかけられるようにです。
結言
もちろん上手いこと、得意なことだけに限定してやっていくことも個人の人生の選択です。「好きこそ物の上手なれ」でもありますので、得意なことに特化した人生は悪いことではありません。
ただ、自身の手が届く範囲を自ら狭めてしまうことは少し勿体ないのではないかと思う次第です。