初手雑談。
この間、会社の防災訓練がありまして、4月から本社へ異動したばかりでまだ防火扉や消火器や避難経路を覚えていないですし本社はビル20階以上の高所にあるのでちゃんと災害時のことを考えておかないといざという時に死ぬ気がしたので真面目な心持ちで参加しました。
どこもそうだとは思いますがお偉いさんが自衛消防組織の親玉ですので、
「あのお偉いさんは白髪なので、白髪を目印にしよう」
なんて思っていたところ、いざ防災訓練が始まったらみんな防災用ヘルメットを被ってしまったのでお偉いさんを探すのに凄い手間取りました。
・・・そんなどうでもいい話を書こうと思っていたのですが、ふざけたお話を書く気力が無かったので今書きました。
この話は以上です。
パワーとエネルギー、エンジンと燃料
エミール=オーギュスト・シャルティエやアントニオ・グラムシの言葉を引用した言説をインターネットでは時々見かけます。
『Pessimism is a matter of mood, optimism is a matter of will.』
『悲観主義は気分の問題であり、楽観主義は意志の問題である』
これは普遍的な見解であり、使い勝手の良い言葉です。
楽観が意志によるものだとすれば、その意志を持つためには二つの要素があると考えます。
それはパワーとエネルギー、或いはエンジンと燃料の関係です。
優れた心のエンジンを持っている人は楽観的な意志を強く持つことができます。生来の活動的でパワフルな人は概ねそういった人でしょう。
しかしどれだけ優れたエンジンを持っていても燃料が無ければエンジンは動きません。適量のエネルギーを供給し続けるための仕組みも必要です。
つまるところ楽観を保つためには、より良いエンジンに改造する、エンジンの燃費を改善する、適切に燃料を外部から補給する、燃料バルブをいい具合に調整して噴霧する、そういった手間暇が必要であり、だからこそ『楽観は意志の問題』なのだと考えます。
天性の才覚で出力にも燃費にも優れた最高峰のエンジンを持っているならばまだしも、普通の人は保つ努力をしなければ楽観を維持することは難しいものです。
悲観と楽観はともに必要
楽観は悲観に勝り、楽観であれば全て万事問題なし、などとは決して言いません。
悲観によってブレーキを踏むべき状況は必ず存在していますし、楽観が物事を全て解決するわけでもないのですから。
ただ、能動・行動・主体・積極・活発、そういった前向きな感情に基づいて人が活発に足を進めるためには楽観の力が必要であり、楽観はこれらを生み出す源泉の一つです。よって楽観を適切に駆動するために尽力することは意味がある行為だと考えます。
シンプルに言えば、楽観的な雑談を書くにしてもエネルギーが必要であり、今の私はちょっと燃料切れなのでなかなか難しい、そんな話です。
結言
『楽観は意志』というと少し根性論のように思えるかもしれませんが、実際はもっと理屈的です。心身を鍛えて適切な補給を行い入出力のバランスを取る、そういった合理主義に基づいた言葉だと私は思います。