休日だというのに仕事のことで頭がいっぱいっぱいで思考力がそちらに割かれているような気がします。
なんというか、入社して数年内の新人時代を思い出します。まあ実際に部署異動したばかりなので新人みたいなものではあります。
社会人の新人時代はアレも覚えなければコレもやらなければと大変な時期です。学生時代とは環境が大きく変化することもあり、心身ともに負担が増大します。
私も当時はむやみやたらと残業をしたり休日出勤して仕事をしたりと若さにかまけて仕事に熱中していました。
そういった傾倒は度が過ぎると心身を壊すリスクがあるものの、経験は成長の糧であり、当時学んだことは間違いなく今の私に役立っていますので全面的な否定はし難いものです。
若者の育て方
とはいえ、そういった経験を他者や若者に求めることはもちろんしません。たくさん残業しろなんて思いませんし、休日にも仕事をしろとは言いません。
同じ食事を取れば同じように育つかと言えばそうではないように、人それぞれ消化機能は異なるものであり、得られる経験にも糧にできる総量も当然個人差があります。
「俺が若い頃はこんなに頑張った、お前らも同じように努力しろ」なんて言葉を用いて若者をふるい落として生き残ったものだけを活用しようにも、現代の先進国ではふるい落とすだけの若者が確保できないのですから無意味です。そうではなくそれぞれにチューニングして育成をすることが今時は求められます。
もちろん企業は営利団体ですので、休日にも勉強をしていち早く仕事が出来るようになった者のほうがそうではない者よりも評価されるのはやむを得ません。
ただそれは強制して行わせるものではなく、評価されたい人と評価を求めていない人がそれぞれ自らの欲求に従って選択できる類であるべきだと考えます。
美徳を美徳たらしめるもの
努力、献身、忠誠。
そういった姿勢はたしかにある種の美徳です。特に国家や自治体、会社や家庭のような社会集団において集団に忠誠を誓い仲間のために献身的に働き人々のために努力することで集団に貢献して構成員に利をもたらす存在は評価されるものであり、そういった利をもたらす姿勢を美徳と定義するのは自然なことです。
しかしそういった美徳は己が自らに対して課すからこそ美徳足り得るものであり、他者へ美徳を求める行為は悪徳に他なりません。
これは少し考えれば簡単な話で、人へ無理解のままに努力を求めたり、他者の献身を前提としたり、相手に忠誠を強制したりするような行いが美徳であるはずはありません。むしろこれらは傲慢や貪欲といった悪徳の親戚でしょう。
そのため、私は他者に美徳を発揮するように求める行為を是とは考えません。
結言
まったく他者に求めないこともまたそれはそれで問題を引き起こすのでバランスが難しいことではあります。親から一ミリも期待されなかった子どもが真っ直ぐ育つとは思えませんし、かといって過剰に期待されても同様にプレッシャーでひしゃげてしまうことでしょう。
ただ、少なくともいい歳をした大人を相手に美徳を求める行為は適切ではありません。美徳は自らに課すからこそ美徳足り得ます。風雨に晒された貴金属が輝きを失うように、美徳とは外へ出して他者へ押し付けるのではなく自らの内で大切に磨きあげて輝かせる必要があるものです。