忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

社会人人生の中で一番しんどかった時期の話

技術者3年生

 あれは社会人になってから3年目、まだまだ1人前とは言い難くも多少は仕事が出来るようになり、タマゴの殻を頭に被ってフラフラと危なげに独り歩きが出来るようになった頃のお話です。

 技術者にとっては3年くらいが独り立ちの目安です。3年くらい仕事をしていれば技術者の仕事における一通りの工程を経験することになり、まあなんとか右と左の違いを理解してえっちらほっちらヨチヨチと進むことができるようになります。もちろんまだまだ先輩や上司のフォローは必要ですが、まあ客先に出すには多少恥ずかしいものの出せない程ではない、若いから許してくださいねテヘペロ、というくらいには成長します。

忙しかったけどやりがいはあった

 私の勤める会社では製品毎に担当技術者が付きます。規模の大きい製品にはたくさんの技術者が担当となりますが、規模の小さい製品は数人の技術者で面倒を見ています。モノによっては担当技術者は1人だけです。

 私の所属部署では規模の小さな製品を大量に抱えており、私は3個の製品担当を単独で任されていました。2年目の頃はお試しで1個だけだったので急に仕事量が3倍になったのですが、先輩は30個前後の担当製品を持っていますのでまだまだ私はヒヨッコです。とはいえ担当製品が増えたことは成長の証拠・期待の証と考え、忙しくも前向きな気持ちでした。

 3年目はチームが再編されて、元々居た中堅の先輩と異動してきた先輩、そして私という小規模チームで60個くらいの製品の世話をすることになりました。まあ負担比率は35:22:3くらいだったので、私は居ても居なくても変わらないくらいのヒヨコです。ピヨピヨ鳴いてる賑やかし程度なものです。

問題発生

 新チームが稼働してから半年くらいは問題無く回っていたのですが、異動してきた先輩が秋頃から徐々に休みがちとなりました。どうも仕事がしんどいための体調不良ということでしたが、あまりプライベートな話は聞きにくく、よく分からないままに少しだけ業務の手伝いをしていました。冬に入るといよいよ先輩は会社に来れなくなり、鬱病による長期休暇、休暇後は別の部署へ異動することが決まりました。

 すでにもう一人の先輩は半分以上の製品を抱えて精一杯だったため、先輩の担当はヒヨッコの私が全て引き継ぐことになりました。3個だった担当が突然25個です。さらには先輩が休みがちになっていた頃から詰まっていた仕事が多く残っているため、どれもこれもが炎上状態でした。

 そこから半年くらいは社会人人生の中でも一番しんどい時期でした。すでに納期が過ぎてしまっている案件が把握できないくらい無数に存在しており、経緯も進捗も何も分かっていない中、なんとかしろと営業や顧客から毎日怒鳴り散らされていました。電話が鳴るのが怖く、どうせ罵倒だからと電話の無いところに逃げて仕事をしていた始末です。その頃は吐き気が酷く、日によっては職場から出るのに数十分掛かりました。少し動くだけで吐き気によって動けなくなり座り込んでいたためです。病院では鬱病の可能性があるからと精神科の受診を薦められました。

 人にもよると思いますが、技術者にとって一番辛いのは技術的なことに応えられないことです。技術者はその製品の技術面全てに対して最終的な責任を負っています。顧客や他部門から技術的なことを聞かれれば完全かつ完璧に答えられなければいけません。その製品に関する技術的なことが応えられないというのは、その技術者には存在価値が無いということです。「知りません」「分かりません」なんて禁句です、”知っていなければいけない”のです。

 当時の私は急に担当が増えたため、知らないことや分からないことばかりでした。しかしながらそんなことは顧客や他部門の人間には関係がありません、「技術者のお前が応えられないでどうするんだ」と責められ続けることになります。罵倒そのものよりも、技術者としての存在価値を否定されるのが辛かったです。

 異動してきた先輩も実は同じ状況でした。異動したばかりで分からないことばかりなのに中堅技術者としての働きを期待されたため、応えきれずに病んでしまいました。異動後は無事回復して元気になりましたが、「電話が鳴るのが怖かった」と当時のことを語っています。

復活

 知らないことや分からないことがあるのがとにかく問題でした。そうなると対策は一つ、勉強して知識を身に付けるしかありません。幸いにして勉強は好きだったため、当時は営業や顧客の罵声から逃げ回りつつも見たことすら無い製品の構造や原理を学び、捕まらないように身を隠しつつも設計や試験を慌ただしく行い、深夜や休日には電話が来なくてこれ幸いと製品の技術資料をひたすら読み漁って記憶していました。職場に誰も居らず顧客も営業も休んでいる休日が一番仕事が捗るため最高でした。というか平日が最低でした。休日出勤をし過ぎて上司から禁止された後も内緒で会社に忍び込み、バレて説教されたものです。電話が怖かったので電話線を抜いたこともあります、元演劇部の技能を生かし別人の振りをして電話を切ったことも何度もあります。今思うとそこそこの奇行ですね。

 半年くらいするとようやく全ての製品の技術について自信が持てるようになり、営業や顧客に面と向かって応対することができるようになりました。その頃には体調も復活したため、やっぱり精神的なものが大きかったのだと思います。

結論

 おかげさまでメンタル・技術力共に鍛えられる得難い経験を出来たと前向きに捉えています。言ってしまえば半年で中堅技術者のレベルまで育つことができたわけですから。もう一度経験したいかと言われればもちろん死んでも御免です。というか多分死にます、メンタルだけでなく身体も持たないです。身体に異常を来たすほど仕事でプレッシャーを受けた時は、恐らく素直に逃げたほうが良いです。身体の異常は間違いなくギリギリ崖っぷちに至っているという警報です。

 経験上ですが、プレッシャーに耐えられるかは能力では決まらないと思います。異動してきた先輩と私に大きな差はありません。強いて言えば正面からぶつかったか、逃げ回ったかの違いです。いっそ会社から逃げ出すことを当時は毎日考えていましたし、そうするのも多分正解の一つだったのでしょう。なんにせよ正面から真面目にぶつかると心身が持ちません。一旦引いて逃げつつ態勢を整えるか、遠くまで逃げ出すか、そういう方向が良いと考えます。真面目な人ほどしんどくなるのはなんとも、世の中難しいものです。

余談

 この2年後に新シリーズ、「中堅の先輩が異動で担当製品を全部引き継げと!?代わりに若手を1人渡すからついでに教育もしろだって!?中堅と若手を同じ1人で数えるなよ!つーか一人で全部は無理だって!」編が始まるのはまた別のお話。