中国による台湾への武力行使が生じるかどうかは近年の国際社会においてアジア太平洋地域の大きな課題であり続けています。
現実的にはそのような事態が生じる可能性は低いと各所で分析されていますが、そういった事態が生じた場合へのリスク管理は誰にとっても必要ですし、エスカレートを防ぐために周辺諸国で様々な変革が進められていることも妥当な意思決定です。
ただ、個人的にはそもそも「中国による台湾への武力行使が生じるかどうか」を課題として設定することは着地点にズレが生じるのではないかと思っています。
武力行使が生じなければ何も問題はないのでしょうか?
そもそも論
この問題定義を言い換えれば、「武力行使が伴わなければ平和的か」です。
もちろん平和の対義語を戦争だと定義するのであれば、武力行使が伴わない場合は平和だと言ってもいいでしょう。
ただ、戦争や紛争以外でも平和とはとても呼べない状態は存在します。平和とは「社会が乱れていない状態」を意味する言葉であり、社会を乱す要因は戦争や紛争に限らないためです。たとえ戦争が無いとしても人々が飢餓や不自由に苦しんでいる状態を平和と呼ぶことには抵抗があります。少なくとも北朝鮮やエリトリアの一般市民が日々を平和に過ごせているとは思えません。
つまるところ、たとえ武力行使を伴わないとしても、強制的な併合・植民地化や文化的侵略などは社会を乱す行為であり、それは平和とは呼べない状態であり、問題視されて然るべきだと考えます。
中国と台湾の問題についても同様です。
軍事や経済を盾にした政治介入や強制的な合意によって台湾との統一を果たす行為は台湾の社会を乱すものであり、それを平和的と呼ぶことはできません。戦争ではないが平和でもない、そういった望ましくない状態になりかねないのですから。
結言
武力行使を課題の焦点に据えてしまうと”それ以外の方法”が全て許容されるような誤解を招きかねませんので、個人的には”平和的かそうではないか”を課題として再設定すべきだと考えています。
少なくとも、アルバニア決議を悪用して国連から台湾を追い出すなど国際社会から台湾を孤立させるような中国のやり方は、私は平和的ではないと思っています。たとえそれが武力行使を伴っていないとしても問題だと認識したほうがよいでしょう。